wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

菅原琢氏のTwitter

昨日のレスが多かったため久しぶりに自分の名前で検索してみると、トップページにかつて小熊英二編著『平成史』に関して「そのなかで東大准教授が執筆した政治だけはどうしようもなくひどく、小選挙区制の現状分析すらできていない(選挙区が議員の所有物になっているのが300のうちどれだけあるというのか、日本の政治家の質が悪いのは政治学者の質の悪さが原因ではないか、北大Yが典型的だが借り物の理論を振り回せば事足りると思っているようだ)」http://blogs.yahoo.co.jp/wsfpq577/17207130.htmlに反応したらしい、「ここまで「読めていない」と清々しいという事例。」「この大村拓生さんという方は一応研究者のようだ。せめて文脈を負うことと、ググることくらいはできてほしいなぁ、というのは学生のレポートに対する感想ですが。」http://twilog.org/sugawarataku/date-130118を見つけた。自分の名前すら記されていない記事をわざわざググり、意味不明の悪口を公にする人に亀レスしてもろくなことにはならないだろうが、多数ののフォロワーもいるようなので最低限の反論は記しておく。『平成史』には以下のように記される。p138「政党組織に関して言えば、各選挙区の公認は現職優先であり、各選挙区は議員の所有物のようになっている」・p146「政党の草の根組織が未発達の日本においては、選挙区での勝利は地方政界と候補者の資産に依存することになる」・p147「こうした地方代表型の議員の政策傾向は、政党だけでなくその選挙区に引っ張られる」・p151「現状の選挙区という地域代表の政治家を、全体代表の政治家へと迅速に置き換えることは、小選挙区では難しいだろう」・・・。しかし現実に進行しているのは「劇場型選挙」で、安定的世襲議員の選挙区はごくわずかで、むしろイメージでひっくり返るようになっているのではないか。世襲議員についても地域代表とは言いがたく、小泉郵政選挙ぐらいを最後に中選挙区型地域・業界利害代表型(国民新党が典型)は失われているのではないか。むしろかつての地域代表としての保守政治家に代わるモデルが作り出せないまま、空想国家主義を志向する政治家が増殖していることこそが問題だと考える(80年代までの「領土問題」とは漁業問題だったが、今やその陰は全く消え失せてしまった)。「決断できる政治」を志向する著者が現状をどうみているかググる暇はないが、政治家の現状をみることなく、選挙制度改革で政党組織を求心的にするという議論を繰り返している政治学者にはあきれかえるほかない。