wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

山下祐介『東北発の震災論』

先週実施した試験の採点がようやく終わったところに、またまた答案の山を抱えることに。監督中に見回ったできも予想以上で採点に苦慮しそうな予感。そのうえ明日の試験は最悪の天気予報。延着が発生しないことを祈るばかり。そういうわけで電車読書も続き、前著『限界集落の真実』が大変面白かったので購入してみたものhttp://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480067036/。日本の近代化を広域システムの形成と捉え、とりわけ高度成長以後は周辺の有していた原料・人材供給源としての主体性を低下させ、中心の消費産業へ組み込まれることになってしまった。世代的には広域システム完成前の農山村部・中心市街に多数居住する戦前生まれ世代、戦後の広域システム拡大とともに成長した世代、低成長以後の都市部で生まれシステムの中心しか見ていない世代に区分され、2010年代は低成長世代が社会の中心になる時期に当たる。そうした時代認識をもとにして周辺で発生した広域システム災害として震災を捉え、個人の主体的努力のみでは立ち直ることができない状況、原発事故に代表されるようにシステムによってもっとも被害を受けたにもかかわらず、国や電力会社による賠償、放射能の専門家に依存するしかないという非対称性が示される。また防潮堤・高台移転・土地のかさ上げといった巨大復興事業がシステムを強化するのみで、ますます人間を疎外していく政策が、あたかも被災地の声を装って(マスコミの「誤報」がそれを助長しているらしい)進行していることが示されている。そのなかで被災地の主体性の復興が必要で、西欧近代のような個の自立ではなく、共同体的主体性によってシステムを我が手に取り戻すことを展望するもの。現代日本が向かっている破滅的な道をシステムと(中心ー周辺)と世代論から示したもので説得的な一方で、YAHOOの人生相談をみても、本日帰路の女子大生の会話を聞いても世代継承という感覚が決定機に欠落して完全に個がアトム化されたシステムと太刀打ちできる共同性をどうつくり出すかがやはり課題。