wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

追悼 吉田晶先生

web上では確認していませんが、昨日の新聞で公表されましたように、1月15日に吉田晶先生がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。私がはじめて先生にお目にかかったのは1984年4月の岡山大学入学時のこと。、3先生交代で実施されていた1年生必修の日本史入門の最初が吉田先生の担当で、経済学批判序言の報告を当てられたのが最初のゼミ体験。少し類書に当たったが全く歯が立たず、農業と工業は異なるなど素人考えを述べた記憶がある。単身赴任中のご自宅にも何度もお邪魔してお酒をいただくなど(トイレで粗相したこともあった)、いろいろな場でお話を伺うことができ研究者としての姿勢を学ばせてもらった。廊下で出会うと最新の本をあげられ「君は読みましたか」と感想を問われ、あわてて買いに走ることも度々あり、石母田正の追悼会の報告をわざわざ事前に聞かせていただき、はじめて抜刷というものをいただいた。重厚な古代史研究に圧倒され、へそまがりの性格もあって、指導教官のいない中世史を選んだが、先生の講義のみには欠かさず出席した(魏志東夷伝の比較検討から倭人条の読解をすすめたもの)。院に進学した後も抜刷をお送りすると真っ先に返事をくださり(ご負担になるかと思い、近年は送らないようにしている)、岡山大学退官後は関西、しかも私の育った町に在住されることになり、何度もお目にかかり、そのたびに歴史学に取り組みはじめた初心に立ち返ることができた。近年は体調がすぐれないとは聞いていたが、米寿のお祝いをご自宅周辺で行うという計画があり、手配を任されていたのだが先週突然の訃報を知らされることになった。先生は陸軍幼年学校(当方の母親が勤めていた病院の前身)出身という体験から、天皇制と古代国家の解明を志したというまさに戦争体験と直結した戦後歴史学の問題意識を強烈に有し、終生首尾一貫してマルクスの方法論を手がかりにその課題に取り組んでこられた。その一方で方法の模索を続け常に新しいテーマにも取り組まれていった。世代的にはやや下だが大学院時代の恩師である故河音能平も同様で、学問の発展に対する楽観主義を前提にその両輪を有機的に連関させていったのが戦後歴史学であった。本年いただいた年賀状には「今年が憲法第九条を尊重する平和で幸せな年であることを期待したいものです」と印刷されていた。その想いを裏切らず継承していきたい。*t追記 日本史入門の最初は倉地克直先生の誤りでした。