wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

小川剛生『足利義満』

先週末はダラダラ過ごしてノドのほうは少し落ち着いたが、またもや月火と御堂筋線は遅延。本日は定時運行されていたが、まさに運試しになってきた。そういうなかで電車読書だけはすすみ、読了したのが本書http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/08/102179.html。近年室町前期の上部構造(最近は使われない用語であるが、地域史・経済史の低調さの反対語としてはふさわしい気がする)の見方については急速に刷新されつつあるが、それを文学分野から牽引している著者による伝記研究。未刊行を含む古記録・文書の博捜と漢詩文から和歌に至るまでの文学史料を該博な知識に基づき読解して、その生涯を跡づけたもので、日本国王論・皇位簒奪論・光源氏論などを完膚なきまでに叩きつぶしている。そのように見える振る舞いは北朝の衰微と指導力の欠如に主因が求められ、義満を上皇に擬さざるを得なくなったため彼の自意識を肥大させることになったが、一代限りの例外であり、朝廷の秩序の回復により、公武間に一定の距離を取ろうとする復元力が働いたとされ、「太上天皇を望んだことは、無知のなせるわざとして、一笑に付される運命にあった」と片付けられている。王権簒奪などという「ロマン」(提唱者は天皇制護持を主張するだけになってしまったが)がなくなれば、実に陳腐で身も蓋もない話。もともと本書は義満600年遠忌(2008年)の数年前に依頼されたものが遅延したというが、その間に刊行された大田宗教史・橋本外交史などの成果を吸収することで、ある意味で決定版といえるものになったと感じられる。こちらとしては近年の研究について行くのもしんどくなっていたが、古記録など公家関係の史料からのみの分析はこれで打ち止めになりそうで、ありがたいところ。なお未刊の「吉田家日次記」も早く活字にしていただければありがたいのだが。