wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

吉越昭久・片平博文編『京都の歴史災害』

昨日は二コマの講義を終えてから実家のご機嫌伺いに寄ったが、慌てていたため重大な忘れ物をしてしまったため、明日取りに行かなければならなくなった。どうも注意力が欠けている。そのうえ日本酒がまだ残っているようで、頭が働かないままだが、学会で購入した電車読書の備忘を残しておくhttp://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784216437。表題について総論2編・水害3編・火災5編・震災4編・土砂災害2編・気象災害・災害と社会3編(各論にはそれぞれコラムが1編あり)からなるもの。GISを利用した空間表現や、安元の大火を初めとする個別災害の発生メカニズムと拡大過程に関する具体的な復元、8.18政変直前における尊攘派の活動を背景とする放火事件の多発など、いろいろ教えられる点は多かったが、前近代史の文献研究者がほぼ皆無ということからくる問題点も見受けられた。鴨川の洪水回数については表が作成されているが、14世紀以前の頻度については都市史に関する史料の多寡について当方が持っている感覚とほぼ一致している(内裏焼亡の確認が必要なことから古記録に多数が記される火災と異なり、どの規模の洪水を記すかどうかは記主の関心によってかなり異なる)。また発生頻度がもっとも少なかったのは1034年から1093年の60年間というのは古記録が最も乏しい時期。また歴史的建造物の火災履歴についての原典としてあげられている史料は非常に時期的偏りがあり、室町・南北朝(ママ)と戦国をどこで区分したのかも示されていない。文禄5年地震における本願寺寺内町の被害は移築による建物の強度の低下とされるが、文献史では移転は低地開発のためと評価されており地盤条件を無視してよいかは疑問。さらに先行研究としてあげられている土砂災害が江戸幕府が成立すると増加し、特に元禄時代以降に多くなっているというのも、文献史料の残り方と正の相関関係以上のものがあるのだろうか。やはり前近代の災害史については、文献史としてしっかり取り組まないと、誤った方向に向かう可能性があることが実感された。