wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

金子拓『記憶の歴史学』

今日は久しぶりに電車に乗って、書店巡りをしてから2.11集会に参加。講師は桂敬一氏で東京から見た政界の寵児になった橋下現象とマスコミの現状分析。繰り返し報道されることでならされることの危険性に警鐘を鳴らすとともに、責任ある未来を示すことが力説される。少しばかりは勇気づけられるとともに、懐かしい顔ぶれにも出会うこともできた。電車読書は終章のみ残していたものを読了するhttp://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2585227太田牛一信長公記』に記されなかった信長の賀茂祭競馬見学、小瀬甫庵信長記』への批評の出所、細川ガラシアの死をめぐる史料状況と48年後の年老いた侍女の供述、日記の執筆時期と本能寺の変隠謀説の根拠ともされた『兼見卿記』が複数存在することの意味、由緒書に登場する合戦としない合戦、近世武家文書の伝来をめぐる相論を素材に、歴史における記憶を主題として扱ったもの。個人的には賀茂社の分析が役立ち、本能寺の変隠謀説のずさんさも勉強になった。ただしスタイルは原本の様式比較など緻密な史料論に基づく実証史学の王道というべきもので、タイトルはやや大げさすぎで、副題の史料に見る戦国が実態というところか。また古記録に書かれないことがあるというのは当たり前のことで、それを殊更に強調する点や、まさかそんなことは考えていないと思うが現存する記録が記主の記憶のみで記されたように読めるところはやや気になったところ。