wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

斉藤利彦『試験と競争の学校史』

某所で紹介されているのを見て、後期の授業で予定しているライフサイクル論で利用できないかと考え、原著は1995年刊で新装文庫版だったが新刊で購入するhttp://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2920433。明治の小学校が試験漬けで、成績が公開され席次がそれに左右されており、進級試験では大量の落第者と中退者を出していたこと。小学校の試験が一般公開され多数の観覧者がおり、地域対抗試験のような祝祭的なものもあったこと。1894年にようやく文部省訓令で席次を上下させる試験に歯止めをかけるようになったが、これは日清戦争に向けて児童の体位向上に過度の学力試験中心が妨げになったと認識されたためであること。その後は試験競争が中学校に転嫁され、一度も落第せずに卒業できるのは3割程度で、卒業者数を上回る中途退学者がいたこと。高等学校進学にはかなりの浪人者がおり、一高を中心とする学校序列や、1907年の高校進学者が東京224人に対して、大阪41人、埼玉9人、奈良5人など人口比以上の格差があったことが指摘され、近代社会の競争原理が学校から強烈に導入されることになった点が日本の学校教育の特徴で、GHQ軍国主義教育とともに改める必要があると認識していたという。近代教育史については全く疎く、小学校設立の「美談」に半ばだまされ、小学校在学率についてももっぱら親の経済的側面だけから考えていたが、組織的に落ちこぼしをしていたことにも要因があったのは初めて知った。中学についても同窓的連帯意識がそれなりにあるかのように思っていたが、むしろこれほど競争的で中等野球などはそれを覆い隠すところに意味があったのかもしれない。教育の競争的分断と社会的連帯意識の希薄化は近年の日本社会に特徴的なものではなく、近代日本にも通底している問題で、逆にそれをカバーしていたのが天皇制と軍国主義愛国心だったのだろう。中学校中退者の進路など知りたいことは多数残るが、学校史料を収集し統計データを活用した実証主義的な研究で、近代日本を考える上でも非常に勉強になるものだった。官僚の論文をネタに放談するだけの近代史プロパーの研究者も、少しは見習ってほしいところ。*最初の投稿で著者の名前を誤記していたので修正する。