wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

森平雅彦『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』

金曜日に書店で見かけ、来週の授業用に購入して読了。このテーマについてはそれなりに勉強してきたが、蒙古襲来史もしくはモンゴル帝国史で、高麗史については長期にわたる抵抗と出陸、その間にあった三別抄による日本への援軍の呼びかけ、国王がモンゴルから后を迎えることになったというぐらいの知識しか持っていなかった。それに対して本書は高麗の主体性を重視する立場から、日本史では余り取り上げられない高麗からの国書の「好意」、三別抄軍の重視が朝鮮他律性史観を再生産する恐れがあるとして、元と日本の間に立った降伏した高麗国王側の動きを重視している。またモンゴル帝国における高麗が制度的には征東行省という元の地方行政単位の一つを、世襲の高麗国王が長官として兼任するという体制で、そのときの文書行政上の位置づけが明・清の周辺との関係に継承された可能性が指摘されており、東アジア史全体におけるモンゴルの重要性が改めて浮かび上がる。さらに元の政変がストレートに高麗の王位継承に影響する一方で、王家の対抗勢力が元の一派と結んだり、高麗出身者が元の官僚となり高麗での地位を上げようとするなど、帝国内の人的交流の活発さがもたらす政治空間のあり方も興味深い。最後に近年注目されているモンゴル帝国内の文化交流が高麗にかなり及んでいる状況も取り上げられる一方で、そうした「スケールの大きさ」それ自体を二義的な問題として、筆者にとっての一義的重要性は朝鮮半島における人類の営みの一コマだとしめくくられる点に筆者のこだわりが現れている。非常勤先で出会う旧知の研究者の評価は高くなかったが、限られた分量に適切な情報と作者独自の見解を織り込んだ好著だと感じたhttp://www.yamakawa.co.jp/product/detail/1911/。昨日東京の公募書類をどうしようかと改めて確認してみると、関西でも公募が出ていることにたまたま気づく。いつぞやも文句を記したが、純粋公募の可能性に懸けてまさか出さないわけにも行かず、あわてて書類作り。業績を4つづつ送らなければならず自著を注文するはめとなり、高い公募になったが全く売れていなかったのが不幸中の幸い。