wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

大阪市立東洋陶磁美術館「新発見の高麗青磁」

本日の非常勤先は入試のため休講。夜の研究会(中国史のお勉強、都市にある廟の機能について)に参加する前に、招待券をいただいていた表題の展覧会に出かける。正式名称は日韓国交正常化50周年記念国際交流特別展「新発見の高麗青磁ー韓国水中考古学成果展」。日本史では14世紀初頭の新安沈船が有名だが、西岸での調査が断続的に続けられていたということで、高麗期のものだけで20例ほどに上っているらしい。入ったところにまず18分間の記録映像があり、4例の調査の場面が紹介されていた。驚いたことに1970年代の新安沈船のものもあり、海軍のバックアップでおこなわれた様子が映し出されていた(特別展のHPで閲覧可能http://www.moco.or.jp/exhibition/current/?e=336)。近年は専門の研究機関が行っているようで、水中に方眼状のスケールを設けて、出土地点を明確にするという方法が採られていることがわかる。木簡も出土しているようで、その中に「三別抄」と記されているものが映し出されており気になったが、展示品の中には含まれていなかった。出土品は穀物主体の輸送船もあったようだが、青磁の産地が全羅南道だったとのことで、大半はそれを開城に輸送する途中で沈没したものだったようだ。美術館らしく一品づつ並べられていたがその多くは優品で(欠けたものもあったが、完形のものも結構あった)、中には安宅コレクションの伝世品と比較されているものもあり、そのレベルが知られるところ。また瓶に木簡がつけられた状態のまま発見されたものもあり、それが「樽」と表記され、ハチミツ・ごま油などが入れられていたことが判明するものや、成分分析から塩辛が入っていたものも興味深いところ。気になったのが時期で、11世紀後半から13世紀前半と、14世紀のものばかりで、13世紀後半の事例が全く見られなかった。当該期はモンゴルの高麗侵攻が続けられていた時期で、当たり前といえば当たり前なのだが生産が全く途絶えたわけではないようなので、どういうことなのか、輸送主体(そこで気になるのが先の木簡)はどうなのかなど、いろいろ気になるところ。その他にもいろいろ木簡も展示されており、本来なら図録も買って勉強しなければならないのだが、財政上およびスペース上の理由で断念。まさに、貧すれば鈍する、という他なし。それはともあれ一見の価値はある(23日で終了)。ところで日韓国交正常化50周年を記念した企画はほかでもやっているのだろうか。あまり聞いたことがないのだが・・・。