wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

白石典之『モンゴル帝国誕生』

本日は公務出張でフィールド・ワーク。山登りも含めて一日中歩き回ったので、汗だく・日焼けでかなり疲れた。いろいろ新知見が得られたがここでは省略し、電車読書の備忘。秋の講義で取り上げているモンゴル帝国史について、長年研究をリードされてきた方の著作に依っていたが、いろいろ批判を耳にするようになっており、最新成果を学ぶために衝動買いしてしまったものhttp://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586559。著者の専門は考古学で、長年現地でフィールド調査を組織されてきたとのこと。それだけにチンギス・カンの宮殿跡の性格、製鉄・加工遺跡との関係と馬具の展開、夏冬の遊牧地の立地がもつ意味など、いろいろ勉強になったのだが、文献との結びつけ方についてはいろいろ危うさも感じるところ。これは著者だけの問題ではないようなのだが、百・千・万といったモンゴルの軍事組織について、実数と見なして人口換算までされており、律令戸籍・石高制などの実態を知る身としては、そんなに単純に考えてよいのか疑問。また考古学にありがちな気がするが、チンギス・カンの台頭をまるで必然的と描き、経営学の「戦略」・「戦術」の無批判に利用し、遊牧知・遊牧リテラシーなどと表現するが、物事を単純化しすぎているのではないか。環境史(年輪分析)と密接に連携しているのも特質のようだが、チンギス・カンの台頭、帝国の拡大、クビライ末からの内乱、14世紀初頭の安定、その後の衰退という時期区分が、気候変動と結びつけて評価されているのだが、これは単純すぎでそこまで精度の高いデータは得られているのだろうか。しかもそこまでいうのなら個人の遊牧リテラシーなどどうでもよいのではないのか。著者は科研を例に出しながら「役に立つ歴史学」に肯定的で、現代モンゴルで進行する環境破壊との対比でチンギス・カンを評価しているようだ。当然政治的思惑もあるのだろうが、やや先走りすぎではないのだろうか。なおモンゴル語の地名研究の困難さの事例として社会主義時代の変化が例示されているのだが(ウランバートルが「赤い英雄」という意味だというのは初めて知った)、近代の変化はすぐわかる話で事例としては不適切ではないか。