wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

ケネス・ルオフ『紀元二千六百年』

アメリカ人である著者が、紀元二千六百年(西暦1940年)について、国史ブーム・百貨店などの盛大な催し・定時に行われる大衆儀礼伊勢神宮および神武聖蹟への観光ブーム・朝鮮や満州への植民地観光・帝国外の移民を集めた海外同胞大会の分析を通じて、当該期が「暗い谷間」ではなく、大衆消費社会が天皇神話に統合されたファシズム体制の高揚期として位置づけたもの。一部の日本語で書かれた先行研究に明らかな誤読があり、著者は日本史学会の研究動向には余り通じていないようだが、主要な研究書は英訳されているようで、著者が提供する素材は大変興味深い。「紀元二千六百年」の熱狂について一般論としては理解しており、伊勢参詣ブームについても聞いていたが、これほど広範な範囲に及んでいたものであったことは本書で初めて知ることができた。とりわけ定時の宮城遙拝とともに、紀元節や陸軍・海軍記念日日露戦争の凱旋により制定)には正午の黙祷が行われていたことは初耳で、その延長線上に45年8月15日の天皇の「玉音放送」があったことになる。原武史の用語を借りて「時間支配」と概念づけているが納得できるもので、戦前と戦後の連続性や日本人の定時意識の形成を考える上でも大きな問題提起だといえる。また著名な歴史学者によるものだけでなく、一般公募により女学校教員が執筆してベストセラーになった「紀元二千六百年史」があったことも不勉強ながら初めて知ったもので、土曜日の議論とは逆に皇国史観とはいえ歴史学が余りにも社会にありふれていた時代だったことを改めて知るとともに、戦後歴史学はやはり対決というより封印した面が強かったように思われる。授業準備の中でも感じたことだが、この時期の海外膨張のための「開かれた日本」像と、戦後の「一国史観」という極端な対比が、植民地への忘却につながったことの意味を考え直す必要がある。その他にも満州における日露戦争戦跡観光(なんと満州事変ゆかりの地まで観光地となっていた)とガイドが語る物語など、当該期の社会状況を知るさまざまな事例があふれており、ドイツ・イタリアなど各国とも対比しながら論じられている点も有益である。こうした「帝国」の構造を論じるのは、「帝国」の研究者のほうが適しているのかもしれないとも感じたhttp://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=12173