wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

安丸良夫『戦後歴史学という経験』

本日は某団交。相変わらず給与は上がらずストレスがたまる。電車読書のほうは、先日約二ヶ月ぶりに新本屋で衝動買いしたもの(かつては毎週通っていたのだが、本年度は一月に一度がようやくになってしまった)。当方は全てを読んでいるわけではないが、明治維新・近代の理解という点ではかなりの部分で影響を受けているため。本年四月に亡くなられた著者の遺稿集だが、本人自身による2013年の『安丸良夫集』全六巻刊行後に、「終わり」を意識して書かれたものが中心で、単なる落ち穂拾いではないhttps://www.iwanami.co.jp/book/b266521.html。解説(成田龍一氏)によると著者は『集』献本に添えられた挨拶状で、「終わり」について、自分の研究・自分の人生・戦後歴史学・戦後日本・近代というものの「終わり」を含意したものと記し、「終わり」から眺めると、細部に囚われずに全体が対象化できて、物事の輪郭がよく見えるような気がします。とのこと。第一部が『集』後の「戦後歴史学という経験」という連載で、石母田正から「テロとの戦争」までが4編の論考で振り返られる。第二部は『集』以前のものも含めた網野善彦をはじめとする六人の歴史家の歩みを評価したもの、第三部は読書経験と韓国で翻訳された著書の序文および岩波書店編集部に送られた「歴史学の再生①」からなる。全体が著者の歴史学への姿勢がよく示された味わい深い文章。晩節を汚したようにみえる大家も少なくないなか、先に紹介した大山喬平氏の回顧とともに、理想的な「終活」のように思える一方で、ある種見捨てられた気分にもなり複雑。