wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

金太郷

本日は塼列建物の研究会。久しぶりにお目にかかる方も多数おられていろいろ勉強させていただく。会場最寄り駅は旧宅と実家の乗り継ぎ駅で数え切れないほど通り過ぎていたのだが、本日昼休みにはじめて巡検。中世鋳物師の在所として知られる金太郷(現地名は金田かなた)。気になったのは集落に多数の真宗寺院が立地していたことで、戦国期の事情が気になるところ。

右手を直進するのが竹内街道。中央に鎮座するのが巨瀬金岡を祀るという金岡神社。

 

京都府立京都学・歴彩館「東寺百合文書で古文書解読!鎌倉・室町・戦国時代~中世文書、はじめの一歩 後期」

本日、論文コピー、近衛家文書デジタル閲覧のついでに観覧(というか会期にあわせたもの)。いきなり「Q12『まだ~していない』は古文書ではどう書きますか?」から始まり驚いたが、会場で入手した前期の解説「Q1文字も文もわかりません。それでもわかることは何かありますか?」から始まり、今回のQ16までの問について、具体的文書を素材にして解説するというコンセプトのようで、展示パネル・配布される解説も、文書の歴史的背景には深く踏み込まず、問と形から説明するものになっている。Q12などわかりにくいものもあったが、今回の「Q14書き間違ったときはどうするのですか?」では、関東裁許状のうち、「東大寺領伊与国弓削嶋」の「大」、2ヶ所の「細」の裏に奉行人らしき人物(解説は「裁判所の人」)の裏花押が据えられ、誤字であることが示されているもの(「細」は「網」の誤記)や、軸の現物などを示すためには適切か。ただそれとは別に信長・光秀・秀吉・家康関係文書があげられていたのはいかがなものか。また前期本文31頁・後期29頁のコピー用紙を綴じた解説パンフが配布されているが、全くの無記名で、以前もそうだったように思うが博物館の図録でも一般化したように個人名を入れるべきだろう。

【2月17日~3月10日】東寺百合文書で古文書解読!鎌倉・室町・戦国時代~中世文書、はじめの一歩 後期|イベント|歴彩館公式ページ【京都府立京都学・歴彩館】京都北山の総合学習施設 

デジタル閲覧は今回が初めてだったが、担当職員に1Fの専用の部屋を開けてもらわなければならない仕組み(もともと水曜日で申請したが合わないと言うことで断られた)。職員は席を外すこともできないようで、申し訳なくなって早めに出ることに(文明十二年からはじまる「雑事要録」は毎年の全所領の出納状況・贈答記録・支出などが記されるとんでもないもので、途中から代官請が不知行化したこともあって先が見えず挫折したのが実情ともいえる)。特に閲覧文書の具体名を申請するわけではなく、2Fの一郭に専用端末をおいておけばよいように思うのだが・・・。なお富家殿からの宇治丸をみていると久しぶりに鰻が食べたいところ。また本日の行き帰りだけで花粉症再発、にもかかわらず日曜日は杉の本場に出かける予定・・・。

佐藤信弥『古代中国王朝史の誕生』

引き続き電車読書の備忘。タイトルと1月の新本屋によるタイミングとポイント消費の関係で衝動買いしていたもの。過去をどのように認識し、どのように記述するのかという問題について、甲骨文字・金文中心の春秋時代までを歴史認識、「春秋」が成立する戦国時代から前漢の「史記」までを歴史書歴史観という主題を立てて、叙述したもの。出土文字資料が多数発見されるなか、同一事象に対する複数の評価を紹介しながらこの問題を追及している。甲骨文字段階から竹簡が存在したこと・紀年法から年号の誕生・「焚書坑儒」の実態(始皇帝初期の政策ではなく、書物の散逸の理由がそれに求められた側面も)・説話の転化(始皇帝の出生譚には元ネタあり)など、いろいろ基礎的なことを知ることができたのは有益。

筑摩書房 古代中国王朝史の誕生 ─歴史はどう記述されてきたか / 佐藤 信弥 著

兵庫県立兵庫津ミュージアム「知られざる山城の魅力‐中世播磨250の山城‐」

南京町を少し歩いて(昼時で、関西イントネーション以外も含めた日本語をしゃべる高・大学生が圧倒的)、地下鉄で表題の展覧会へ。副題は木内内則氏の同名書がもとになったものだが(縄張り図とともに復元イラストを描かれる方)、取りあげられているのは当方の姫路勤務時代に行われていた西播磨山城復活プロジェクトの対象に、三木城など一部東播を加えたもの。実物資料は「三木城絵図」・「利神城古図」と発掘調査で出土した遺物。当方が深く関わった赤松居館跡などもあり、とりあえず確認したというところ。展示パネルの内、木内氏のイラスト以外(こちらは別に書籍として販売)を収めた16頁のカラー・パンフレットが無料配布。

企画展「知られざる山城の魅力ー中世播磨250の山城ー」 | 兵庫津ミュージアム 

そこから中央図書館まで歩き、懸案になっていた書籍を確認(結局、成果なし)して帰宅。スマホは16804歩で結構疲れた。

神戸市立博物館「コレクション大航海 蝦夷発→異国経由→兵庫行」

中世文書が展示されていることを発見し、本日観覧。3PERTからなり、最初が地図資料、主眼は蝦夷地がどのように描かれているかということだが、1570年オルテリウス「タルタリア図」から始まり、17世紀前半までの日本を描いた地図が揃う。単眼鏡で文字を読んでいたのだが、室・兵庫・堺・都などのアルファベットは読み取れたが、理解できなかったものもあり気になるところ。また林子平幕藩体制下にあるところとそうでないところを区別しているが、幕末には三国図として琉球蝦夷地・朝鮮を日本本土と同じ凡例で描くものが登場し、その意識が気になるところ。次は近世の絵画資料で南蛮を描いたもの、中国・西欧の技法の影響を受けた作品、輸出用のものなのだが、17世紀前半(初期二条城)の「洛中洛外図屏風」も興味深い。最後が兵庫で、山田荘の算用状1点・捶井文書4点のほか、明和6年・寛政9年・安政から文久という3枚の凡例が踏襲されている兵庫津絵図が並び、町の拡大過程が興味深い。その他にコレクションでは近世大坂絵図があり、常展の地域室は考古資料。なかなか見所の多いもので、HPのPDFと同じものが上質紙パンフとして無料配布。

開催中の展覧会 - 神戸市立博物館

二栢野

もともと当方のリサーチ不足で先行研究を見落とすことも多いが、逆に無視されることも少なくない(早い時期のものについては、拙著に収録する際に記してある)。近年の赤松関係も取りあげられないほうが多いし、先日全国誌に掲載された史料紹介でも拙著の紛失状の整理には触れられていない。まあ科研費の応募資格もない自称研究者によるものなので、研究倫理上も問題ないのだろう。このたびまた見かけてしまい、個人と言うより、『播磨新宮町史』史料編Ⅰ(2005年9月刊)という自治体史のため、ここで取りあげた次第。なお史料編といっても本文編は早くに刊行済(執筆は高坂好氏)ということもあって、史料1点ごとにかなり長めの解説を加えるという方針で編まれたもの。禅宗史料に初めて取り組んだのもこの時で、何しろ玉村竹二氏の学友だったという高坂氏の典拠史料にたどり着くのはかなり苦労した記憶がある。ただ二栢野については史料に気づいたのが遅かったため、論考で行われたような現地調査も行っておらず、刊行後にようやく三野寺を御案内いただいただけ。その点で不充分なことは否めないが、存在だけは示しておきたい。なお町史事務局におられた方とは姫路の仕事でもお付き合いがあり、数年前に別件で著者を案内したことがあるとうかがっている。

 

「中世淀をめぐる交通と流通」

『ヒストリア』第302号(2023年2月)、45~63頁。昨年4月23日に行われた2022年度見学検討会「古代・中世の淀と都市形成」での同名報告をもとに執筆したもので、報告者の松永修平・柏田有香「淀周辺の発掘調査成果‐淀水垂大下津町遺跡を中心に‐」・古閑正浩「淀周辺の渡河点と造寺‐道照・行基の社会事業とその背景‐」とともに掲載。拙稿は平安中期から15世紀末までの交通史料をもとに淀の位置づけをおこなったもので、院政期の鳥羽殿の造立と淀路の成立、13世紀半ばの大渡橋の設置と淀関の成立、15世紀半ばの大渡橋の消滅と淀六郷の登場、に画期を見出し、発掘調査成果との関係を示唆したもの。本来ならそれぞれの模式図が作れればよかったのだが、そこまでには至らず強引に変な図を一つだけ入れた。先の四天王寺と同じく史料の数の割に誰も関心を持たず先行研究が著しく少ないため、註が3頁86もあり、本文に強引に入れ込んだものも含めて例によって史料を並べただけになった。そのうち報告後に知ったのが「歯長寺縁起」で、今まであまり利用されていなかったようだが、交通史料として非常に重要で、まだ手がけていない春休み仕事の某自治体史でも有益。抜刷はまだ届いていないが、来週に第一陣を引用者にお送りし、それ以外の方々は3月刊行予定の別稿までお待ちください。また『ヒストリア』は執筆者にPDFがいただけるので、そのうちresearchmapにもupする予定。なお発掘調査は本年も続いているようだが、その後の情報はいただいていない。