wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

仁和寺霊宝館

非常勤先に行ってみると学生アンケートがおいてあり、授業を駆け足で進めなければならなかった。しっかりと告知しておいてもらわないと(もしかしたら予定表に書いてあったのかもしれないが)、非常に困るところ。内容もシラバス通りに進んだかなど意味不明の項目が多く、教員用のアンケートまでさせられた。講義は相手のレベルを見ながら修正しなければならないし、スクリーンを使うと黒板が全部隠れてしまうため、PCの利用もためらうところ。おまけに行く途中に安靴の底がはがれてしまい、ぺたぺた音をさせて恥ずかしい姿をみせてしまった。授業を終えてバス停で待っていると、歴史資料館に行くバスの前に仁和寺行きのバスが着たため、思い切ってそちらに行くことにする。京都の名刹は子供の頃にはいくつか回ったが、この業界に進んでからは出不精ということもあり、エクスカーションで行ったぐらいでほとんど回っていない。そういうことで仁和寺に行くのも実は初めてという恥ずかしさ(まあ御室の論文は書いていないが)。余り何も考えずに共通入館券を購入し、まず御殿に入ったが、建物と庭は美しいが近代の和様建築。伽藍のほうも近世前期に再建されたもので、それ以前のもは見事に何もない。それでも宝物館には、平安仏から展示されており、御修法記など典籍も多数あて函ごとに整理されていることがわかるhttp://www.ninnaji.or.jp/documents/meihoten10_002.pdf。中世後期から織豊期にかけての仁和寺は全く知識がないが、どうして乗り切っていったのか気になるところ。また典籍の多くには紙背文書が確認され、表も含めて未翻刻のものが相当数眠っていることが想定され、本当に恐ろしいところ。その後は地図を用意していなかったためかなり遠回りをして、靴を鳴らしながら平野神社北野天満宮の写真を撮って帰宅する。どういうわけか平野神社にも修学旅行生グループ数人いたが(それ以外に誰も観光客はいなかった)、何が目的だったのだろう。実は平野神社も境内にはいるのは初めてで、東を正面にしているのは平安京側から来るためで、平野・北野行幸で北野社へは北門から入った可能性がある。やはり現地に立つといろいろ考えるきっかけになるものだ。写真は仁和寺五重塔で、そんなに寒くなく心地よい雰囲気だった。
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