wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

GW京都観光記

本日は2限の講義後に市バス一日乗車券を利用して京都観光にあてる。まず河内氏著書で教えて頂いた北野社・東向観音寺内の五輪塔へ。寺の存在は知っていたのだが境内に入ったことはなく、巨大五輪塔は初めて実見した。石清水大乗院のものとはかなり形態が異なるため中世後期ということになるのだろうがどういう契機で造立されたものか気になるところ。続いて本堂がGW特別公開の対象になっている大報恩寺http://www.kobunka.com/info/tokubetsu2014.html。本堂は棟札などから確実に鎌倉期建立が確かめられるもので、尼崎の商人成金が材木を寄進したという縁起をもつ。また解説員の説明で初めて知ったのだが、棟梁飛騨守高次が柱の寸法を切り誤ったのを妻の「おかめ」の助言で助けられたものの、妻は自害してしまい福面が飾られ信仰の対象となるとともに、おかめ塚と呼ばれる宝篋印塔が造立されたという。尼崎材木商人・棟梁飛騨守ともに鎌倉期の表現ではなく実話とは考えがたいが、建築に関する逸話が残されている点は興味深い。なお彩色されていた内陣も含めて柱は全て円柱で、素人目にも戦国以後との技法上の転換を論じた研究の妥当性が感じ取れた。続いて京都市考古資料館で「京都の戦国時代」という特別展示http://www.kyoto-arc.or.jp/blog/jp-res-event/1279.html?cat=11を担当者の案内付という贅沢な環境で観覧する。応仁の乱における相国寺天龍寺の火災痕跡、やはり焼き討ちされた山科本願寺・本圀寺からの出土遺物、堀などのパネル写真、旧二条城跡出土石仏、本能寺焼失遺物など、戦国期京都の歴史と遺物の双方を熟知した担当者ならではのセンスで構成された充実したもの。スペースの関係もあり説明文がほとんどないため、解説を聞かないと少しわかりにくいが、ガイドは常駐しており一般向きに展示遺物を模したスタンプもつくられるなどの工夫も施されている。続いて水を抜いているという情報を得ていた神泉苑へ。中世史料を読んでいる身としては炎旱になると「掃除」がされるため、水で常に満たされているというイメージはなかったのだが、池底は余りにも真っ平らでいつからそうなったのだろうか。せっかくなのだから発掘調査をしてくれればと思うのだが、残念ながらそういう計画はないらしい。デジカメが電池切れになっているのに気づかず携帯でしか写真が撮れなかったのは残念だったが、いろいろ勉強になった。イメージ 1イメージ 2イメージ 3       写真左が東向観音寺五輪塔。右上が大報恩寺おかめ塚(室町?)。右下が神泉苑池底。