wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

服部龍二『日中歴史認識』

出版されたときから気になっていたのだが、秋の学会で見つけて購入してしまった。「田中上奏文」という怪文書に焦点を絞って1920年代後半から現代まで叙述されており、著者の筆力もあって読みやすく、月曜途中から水曜途中の電車内で読み終えたhttp://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-023059-9.html。ただしいろいろと疑問点もわいてくるところ。「田中上奏文」が中国民間で作成されたという著者の見解は納得できるところだが、偽書が受け入れられたのは日本軍の行動により「実証」されたということを、余りにも軽視しているような気がする。また20年代の中国外交の多元性を批判するが、日本外交も一元化されていなかったから満州事変が起きたのであり、「田中上奏文」に近い構想が関東軍にあったことを無視するのは問題ではないか。戦後については教科書検定による「侵略書き換え」は本当に「誤報」だったのか、関係者からのリークで政治問題化したため取り下げたのかはっきりしない。また黄沢民については著作まで踏み込んで批判するにもかかわらず、小泉・安倍などはそこまで踏み込まないのも片手落ちだろう。著者が「田中上奏文」にこだわる背景には、「満州事変」以後の計画性を否定するためのようで、精緻な実証研究によってかつての15年戦争のような連続性とはうって変わって断絶が強調されるようになっている。法学の世界では昨日の裁判員による死刑判決に見られるように、計画的犯行のほうが罪が重いとされるようで、少し前には沖縄の「集団自決」が「軍命」ではないという議論もあった。「戦争責任」を少しでも否定しようとする政治家にも都合のよい議論だが、根本的な疑問がある。現場の突出した行動と追認が無反省に繰り返された満州事変以後の状況が、無計画性によって免罪されるどころか、むしろより問題は深刻なのではないか。その点でもう一度全体をトータルに捉えた研究が待ち望まれると感じるところ。なおその前に読んだ牧原憲夫『文明国をめざして』は借り物で図書館に返却してしまったため詳述は避けるが、「近代国民国家」を絶望的に暗いものとして描いたもので、個々の事例は興味深いものの余りにも展望がないように思えたhttp://www.bookshop-ps.com/bsp/bsp_detail?isbn=9784096221136。月曜日の通史はあと7回分近現代史の授業をしなければならず、まだまだ勉強の必要がありそうだ。