wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

「寺社から見た平安時代の大阪」

平成21~25年度(独)日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(A)『大阪上町台地の総合的研究ー東アジア史における年の誕生・成長・再生の一類型ー』(公益財団法人大阪市博物館協会 大阪文化財研究所 大阪歴史博物館、2014年3月)pp247-252。本日受領。当方は科研メンバーではないのだが、昨年末に行われた総括シンポジウム分科会「平安時代の大阪」で報告依頼を受け、それを活字化し特別寄稿として掲載されたもの。ご多分に漏れず当該地域も9・10世紀は史料の空白期と言ってよいのだが、他の多くの地域と異なり古代寺院の廃絶という現象が起こらず、新たに創建された寺社も見えることから、都市的機能の一定の存続が推定されることを論じたもの。マニアックな地域史ですが、必要な方がおられましたらPDFファイルがありますので、ご一報ください。なお報告書そのものは、当該研究にとって画期的な成果。とりわけ発掘調査データと地質学・植生研究から導き出された、巻頭のカラー図版の古地理図(弥生時代後期・古墳時代後期・古代・中世後期・豊臣時代後期)と古植生推定図(弥生時代後期・古墳時代後期・古代)は、今後の研究で長らく用いられる図版となるだろう。欲を言えば西横堀川より西側についても創ってほしかったが・・。とんでも内閣のとんでも決定がすんなりなされてしまった。近代立憲主義法治主義のような理念は結局根付かなかったということか。どこまで遡ればやり直せたのだろうか・・・。