wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

池上俊一『森と山と川でたどるドイツ史』

昨日が答案210枚・本日は324枚で気が遠くなるが、その前に今月末締切原稿を仕上げなければならない。早くから決まっていたのだが、何となく時が過ぎてしまい、いざ始めると史料収集の不十分さに気づく始末。おかげで今月の電車読書はほとんど史料めくりに費やしてしまった。そういうわけで読了の紹介も久しぶりになる。何となく気になって衝動買いしてしまったものhttps://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-500817ゲルマン人の侵入から現代ドイツまでの歴史が、「自然」との関わりに焦点を据えて紹介されている。中世の森と王侯・貴族の狩猟文化、ドイツ農民戦争における山岳農民の狩猟要求、薬草の知識を有していた女性がプロテスタント出現以後の近世化のなかで「自然」の精の権化として「魔女狩り」の対象になったこと、男女混浴だった温泉(これは初めて知った)、ジャガイモの普及と「簡素な食卓」、啓蒙主義による市民よりも「民族としてのドイツ」の伝統の重視、軽工業を飛ばした重化学工業化、人間と自然の内的つながりを信じる有機的自然観による文学・哲学などの思想とドイツ音楽、「自然」的な生活基盤たる「民族」に拠って「帝国」を「力強い帝王」により再生すべきという欲望が生んだヒトラーナチスドイツによる、障害者を断種する菜食主義の「健康な国家」とガス室で殺害した人骨を肥料とした「有機農法」というディストピア、戦後のエコロジー政策と原発廃止というように、「自然」を深く掘り下げるとともに「秩序」を追求するという「民族」意識が正負に作用したものと捉える。やや宿命論的な気もしないではないが、「自然」との向き合い方にある種の特質があるのは間違いないのだろう。単一国家でないにもかかわらず、なぜドイツ人意識が長らく続くのかという疑問はまだ解消されていないのだが、来年後期のネタとして少しは使えるだろう。なお当ブログのアクセス解析でほぼ毎日見かける記事は同じ著者の『パスタでたどるイタリア史』。大したことは書いておらず理由は不明だが、本記事はどうなるだろうか。