wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

東大寺東塔跡

本日は11:33JR奈良駅着、観光客の波をかき分けながら表題の現地説明会に出かける。ネットニュースで見かけてhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151119-00000102-mai-soci、十分に存在が念頭に入っていなかったことを恥じる一方で(伽藍の説明をしながら塔は失われたとすら、講義で話した記憶がある)、建築史研究者のコメントの類例を見ないというのに激しい引っ掛かりを感じたこともあって、出かけた次第。記事によると嘉禎年間に再建された七重の東塔は23丈もしくは33丈という記録が残るようだが、東大寺二代大勧進である栄西の指導でそれ以前に再建された法勝寺九重塔は27丈で、すでに八角形の基壇も発掘調査で検出されているからである。東大寺東塔再建は三代勧進行勇の時期だが、計画は初代大勧進の重源以来あったもののようで、携わった技術者集団も同一と考えるのが自然だろう。現場に滞在していたのは30分程度だと思うが、誰かと話したかったのだが、案に相違して顔見知りは2名だけで、知り合いの研究者には一人も出会わなかった。ただたまたま訪れた観光客も2割程度という感じで、当初から現説目当ての方々が多くを占めていたようにみえた。史跡整備の一環ということで全面発掘は避けられ、礎石16ヶ所のうち9ヶ所と東および北側の階段部分、北階段から続く二月堂方面への参道と回廊、南東隅の回廊のみが調査対象になっていた。塔は創建時の24m四方から治承の焼土層で1.7mかさ上げされ、27m四方に拡張されたとのこと。調査された礎石は全て抜き取られていたが、中心20尺・脇18尺でこれは南大門と一致するという。また遺物は未整理だが、瓦がコンテナ4000箱あって、備前万富の他に知多半島伊良子のものも確認できるということ。なお法勝寺の現説では瓦の出土量はそれほど多くなく軒瓦のみのようだが、ここでは総瓦葺だと考えられるようだ。今後は両者を比較検討したうえで議論がなされることを望む。ついでに同志社あたりが相国寺大塔(36丈と記録)をやってくれれば、いうことないが。その後はせっかくだから二月堂をはじめとする堂舎をまわり、金曜日の講義で入り始めた叡尊ゆかりの般若寺に恐らくM1春ぶりに足を踏み入れ、北山十八間戸・転害門経由で近鉄奈良14:42発の電車にぎりぎり間に合った。さすがに歩き詰めで結構疲れた。やはり年を感じるところ。さてさて明日は選挙。とにかく維新の退場を願うばかりだが、駅で見かけるのは緑のジャンバーを着た中年男性のみで、最悪の結果すら想像される。皆様とにかくお願い申し上げます。写真右は北側参道から。左で白ひもで囲っているのが礎石取穴一か所でやはり巨大なのは間違いない。
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