wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

圓教寺叢書編集委員会編『圓教寺奥之院』

本日も定期試験、監督で見回っていると少し厄介な事象を発見。原因不明だが次年度は放置しておくわけにはいかず困ったもの…。そんな中で電車読書は勤務の関係もあり先日姫路で購入したものを読了https://shukousha.com/information/publishing/6261/。「西の比叡山」という別称をもつ書寫山圓教寺(あえて旧字体が使用)全10巻計画で刊行される予定の叢書の最初。最初に選定されたのは奥之院開山堂の修理工事中の2009年に、須弥壇の下から「性空御真骨」と記された瑠璃壺、五輪塔の部位が発見されたことによる。性空の開山は10世紀後半で、寛和二年の花山法皇御幸が同時代史料の初見で、かつて自治体史執筆で使わせてもらったことはある。性空は寛弘四年に没し御廟堂はそれから間もなく建立されたと考えられている。重要文化財に指定されている性空坐像が残され、弘安九年の御廟堂焼失とともに失われたものの、性空遺骨を納めた瑠璃壺(北宋製とされる)が焼け残り、現坐像に組み込まれたもので、2008年のX線撮影で確認されている。またその際に水輪に納骨穴が掘られた五輪塔須弥壇下へ埋納され、性空火葬所の遺骨が納められたと考えられている。さらに寛文年間に御廟堂が朽損し再建工事をした際に五輪塔と遺骨が発見され、新たに石櫃のなかの舎利壺に遺骨は奉安され、五輪塔はその周囲に配置され、開山堂として2009年に至ったとのこと。なかなか壮大な展開で、特に坐像瑠璃壺が平安中期までさかのぼるとしたらあまり類例はないようにも思える。また奥之院鎮守社である護法堂は永禄二年再建で、当方もかつて論文で使ったことのある棟札が残される。本書はそれらを彫刻史・建築史・石造考古学・仏教民俗学の立場から説明され、仏像・蟇股に込められた意味など美術史的な視点からいろいろ勉強になった。