wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

『島根史学会会報』53号

昨日は京都で某学会。遅めに出かけ古代史部会報告と中世史部会の討論だけ聞いてあとは社交。夜は研究会合同飲み会で11時前に帰宅。本日は7:40に家を出て京都で9:30始まりの研究会、11:30に中座して12:45講師控室着、13:00から大教室講義、図書館をうろついている間に辺りが暗くなり通り雨にやられ16:30帰宅。カード・チェックは夕食後にするとして、洗濯機を回しながら貴重ないただきものの紹介。宮地正人「19世紀在村の儒者・漢学者達を考える」・大山喬平「もう一つの戦後歴史学」・藤岡大拙「畏友藤澤秀晴の想い出」・池橋達雄「藤澤秀晴さん追悼のことば」・安部登「興雲閣」。このうち大山論文は京大で同世代だった藤岡大拙氏の著書『出雲学への軌跡』(今井書店、2013年刊、全くその存在を知らなかった)の書評の形態をとりながら戦後歴史学について回顧したもの(梅原猛による鈴木大拙の戦争責任批判、黒田俊雄の林家辰三郎評など初めて知ったことも少なくない)。その藤岡氏と同じく旧制大社中学校一年の年に敗戦を迎え、島根県の数多くの自治体史に携わり2015年5月に逝去されたという藤澤秀晴氏に対する藤岡氏および大社中学校二年生で高校教員のかたわら近現代史に携わった池橋氏の追悼文を通じて、島根県においてどのような想いを持って進められてきたかがよくわかり、くしくも大山論文がそれを全体に位置付けたという役割を果たしている。またあとがきにある竹(竹永三男氏?)氏による伊藤博文美濃部達吉立憲主義と国会論戦(奥書によると雑誌は本年9月12日発行)に触れた文章も示唆的。春にいただいた工藤敬一編『中世熊本の地域権力と社会』に収録された座談会「熊本中世史研究会の50年を振り返る」でもその世代の方々が切り開いていった中世地域史研究の動向が語られていた。熊本はその後継世代が層をもって活動されているが、島根はどうなのだろうか(不勉強でこの雑誌の名前すら知らなかった)。ここ10年来は明らかに地域史研究において研究機関の多寡でより著しい偏りがみられるように感じられる。各地で戦後世代の方々が進めてきた研究をどうすれば受け継いでいけるのかが、深刻な課題であることを改めて感じた次第。