wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

平田雅博『英語の帝国』

本日は定期試験。講義141名・史料講読8名、雪が心配されたが、トラブルなく無事終わる。電車読書のほうは、本年度は書店に立ち寄る機会が少なく、後になって気づくことになった本年度はすでに終わっている火曜日講義がらみのものhttp://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586368イングランドに出現した英語について、ウェールズスコットランドアイルランドというブリテン諸島ケルト語圏への広がり、「外郭の円」としての植民地インド・アフリカへの広がり、「膨張する円」としての非公式帝国とりわけ日本の明治期の森有札の思想へと考察を広げ、アメリカによる英語帝国主義という射程を超えたグローバル・ヒストリー。各地域でキリスト教イングランド国教会)の受容における差異により状況が異なる一方で(ウェールズは国教会のウェールズ語訳聖書によって宗教の言語としてある程度保たれたのに対し、スコットランド国教会は読みになまりはあるにしろ英訳聖書を受容し、話者は著しく減少)、各地で立身出世の手段として親たちが学校教育における英語使用を望み、「方言札」(学校教育における現地語使用を告発する手段、沖縄での事例もよく知られる)が利用され、ネイティブ話者による早期教育が望ましいとされていたといった共通点がみられ、イングランドブリテン諸島における拡大と、世界帝国化の共通する側面が指摘される。またアイルランドにおけるイングランドによる支配と「じゃがいも飢饉」と移民によって「緩慢な死」へと向かっていったこと、講義でも取り上げているインドにおける「通訳的階層」の養成に「マコーリー主義」という名前があったこと、また逆に被征服者が積極的に英語を受容していう動きを「ラモハン・ロイ症候群」と呼び、ガンジーが意識的に拒絶していたことなどいろいろ勉強になった。また森有礼が通常いわれている「日本語廃止論」ではなく、「脱亜」=漢語廃止・「入欧」=簡易英語採用案から、「超欧」として外国語の「制限と奨励」を行い「受診型」ではなく「発信型」の外国語学習を奨励したとし、「言語帝国主義」への対抗手段として積極的に評価され、近年の初等教育英語使用論をむしろ森の志向からの逸脱で「英語の帝国」への包摂による、自文化を振り返る言語の喪失につながることが危惧されるとともに、現実には機会翻訳機の実用化によって英語は「最後の共通語」としての性格を終えつつあることが指摘される。このところの過度の「ニッポン」美化に辟易としているが、歴史という固有の言葉と切り離せない領域の片隅で生活している身としては、著者の主張を積極的に受け止めたいところ。