wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

榎村寛之『謎の平安前期』

明日から春の講義。引きこもり中に自治体史の分担分のうち、2パート・約3分の2の草稿を仕上げたのだがそこで息切れ・・・、読みさしの電車読書を片付けておく。刊行時の初版の帯文句「豊かになった」で敬遠していたのだが、話題になっていたのと、3月の某ポイント消費の際に他にめぼしいものがなかったため購入してみた4版(結果的には31日まで待つという手はあった)。副題に「桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年」とあり、著者は西暦1000年ごろまでを平安前期、それ以後を後期と区分し、奈良時代とその200年後の社会の変化を、女性の公的政治空間からの排除を軸に位置づけたもの。こちらも全てフォローしているわけではないが、女性史に特化していない概説書でそれを全面に押し出したことは斬新で、評価を受けている所以なのだろう。それそのものには異論はないが、構成上にはいくつかの違和感。まず帯文句について、最後に「新田の開発によって資産を増やした領主は、その資産を活用するために京に送る。そして物流の求心性が高まったことで、その核である京の消費文化が盛んになり、王朝文化が花開き、それがまた地方にも展開する」(260頁)とあるが、事実関係の是非以前に本書は中央における貴族社会の形成過程を叙述したもので、具体的な説明はほぼない。初期権門体制論に近い時代区分化とも思われるが、それとも評価は相違しているようにみえる。また38・39頁で平城京がなぜ捨てられなければならなかったという問を立て、従来の説、著者の説と続くが、著者の説こそ通説の範囲内のものではないのか。過去説に新説を対峙しているのはこの部分だけで非常に違和感。なおいくつかの論文を除いて本文では人名は出されず、最後に参考文献(単著のみ)が示される。概説書なので一つのスタイルかとは思うが、同世代・少し上の世代・名著という区分は、1959年生まれの著者の同世代が広すぎる感は否めない。

謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年 -榎村寛之 著|新書|中央公論新社