wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

美川圭『後白河天皇』

昨日読了した電車読書の備忘。院政の制度史研究を切り開いてこられた著者による評伝(タイトルにやや違和感があるが、ミネルヴァ日本評伝選として他に後鳥羽天皇光厳天皇などもラインナップにある)http://www.minervashobo.co.jp/book/b190338.html。全6章構成で生誕から死までカバーされているが、激動の時代ということもあり、清盛・頼朝を初め他の人物が主語として論じられている部分も多く、保元・平治の乱から清盛・義経までの元木泰雄氏、頼朝の政治に関する川合康氏の研究をベースに再構成されたもの。著者独自の見解としては保元の乱の発端となる崇徳の実父は白河説・平治の乱の最終局面における二条派公卿の流罪のバックに藤原忠通の暗躍をみる点、清盛落胤説と舎利信仰の関係、「不徳」「暗主」批判に対抗した後白河による崇徳怨霊鎮魂、議奏公卿制の崩壊などが気がついたところで、諸勢力のせめぎ合いの中に「壊し屋」(著者の表現)後白河が位置付けられている。その他に今様・蓮華院宝蔵・「外交」・大仏再建など主要なトピックが登場し、当該期政治史と後白河についてのスタンダードな達成といえるもの。ただベースとなる論文段階から気になるのは、崇徳の実父は白河説の流布の前提として、保元の乱前の忠通が忠実の日記を自由に扱うことができたと考えられていること。またあとがきに書かれているように後白河の人物像をトータルに評価することはやはり「難しい」と感じた。なお拙稿を引用して頂いているが、論文タイトルは初出のものになっており、拙著では138頁に当該部分があるので、ご注意を。なおブログ紹介部分を「大学教育従事者」から「大学非常勤講師」に改めました。