wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

原田信男『豆腐の文化史』

引き続き、旅のお供にした電車読書の備忘。昨年末に何となく衝動買いしていたもの。伝承では漢代に淮南王が考案。著者は考古資料と西域牧畜社会の発酵文化に源流をもつ製法からその可能性はあるが、ローカルなもので唐代後半以降に広まったと理解。日本の初見史料は「中臣祐重記」寿永二年正月二日条の「春近唐符」で、中国で学んだ僧侶が持ち帰ったか帰化僧が伝えたとする。ただ対外交流史では重源ぐらいしか思いつかず、「御供」として登場するのは違和感。中世の料理書にも登場しないが、精進料理で重視され、戦国期には村にも豆腐屋がみえるという。技術的には大豆をすりつぶす石臼が重要とのこと。ただし近世初頭ではハレの食で、飢饉時には「五穀の費」となる贅沢品として禁令の対象にもなった。それが庶民レベルまで石臼が普及したことで、庶民食となり、さまざなま豆腐製品・料理法が考案されたとのこと。技術的には1960年代以降の機械化と凝固剤による保存期間の拡大が大きな変化の一方で、2014年段階でも500人未満の事業所560社が出荷総額の90%を占めるという。本土各地、さらに中国伝来技術がベースとして独自の発展を遂げた沖縄の豆腐料理まで、全体像が示され有益。なお「長野県の高緯度地帯では、こうした乾燥法による凍豆腐作りが盛んで、古くは佐久市茅野市が中心であった」というのは、何らかの誤記か。

豆腐の文化史 - 岩波書店