wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

ベネディクト・アンダーソン『越境を生きる』

本日は枚方3コマ最終回。扁桃腺が腫れてボロボロだが何とか終え、8月1日の試験まで火曜日はお休み。電車読書は、研究者自叙伝ということで衝動買いしていたもの。税関司だった父の勤務先である中国昆明でうまれ、母はフランス語を話すイギリス人。ベトナム人のアマーに育てられ、41年夏に父の故郷のアイルランドに帰国。父は病死するも奨学金を得てパブリックスクールからケンブリッジで古典学を学び、一年間の約束でアメリカ・コーネル大学政府学部の教務補助者に。そこでインドネシア研究者のジョージ・ケーヒンに出会い、61年から64年までジャワでフィールドワーク。コーネルの東南アジアプログラムの関係で、シャム・フィリピンとつながりをもつ一方で、スハルト体制で1972年からインドネシアは入国禁止。そのようななかで代表作『想像の共同体』にたどり着く一方で(当方はドラフトを読んだ程度で通読すらしていない)、知られていない東南アジア各地のナショナリストの事績を掘り起こすなど多様な研究を進めたとのこと。コスモポリタンな経歴と語学の才能、ニュー・レフト・レビューに参画した弟の影響を受けたマルクス主義などによって、アメリカの政策に規定されたコーネルの地域研究のなかでも独創的な研究を打ち立てていったらしい。本書は2009年にコーネルの日本人留学生だった加藤剛氏の翻訳で若い日本人研究者向けとして日本語版のみが出版。2016年にイギリス語版が(アンダーソンはもともと否定的だったが同意するも、2015年12月に東ジャワで急逝、加藤氏の追悼文が今回の文庫版あとがきとなっている。もとのあとがきを含め、著者の自由な生き方と膨大な知的好奇心が活写されており、訳注での著者の勘違いも含め、魅力的な人物だったことがしのばれる。

越境を生きる ベネディクト・アンダーソン回想録 - 岩波書店