wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

寺沢薫『卑弥呼とヤマト王権』

月・火は最後の公務出張(なぜこの時期なのかはよくある理由で、ありがたく行かせていただいた)。近畿圏とはいえ片道4時間以上かかったため、四月からの講義のために購入していた表題書をほぼ読了(残りは本日)。前半は考古学の手法から、2世紀代の畿内が他地域に比べて先進的だったとはいえず「ヤマト優越史観」を否定。2世紀までのイト倭国後漢朝貢していた北九州政権)が後漢衰退による混乱で「倭国乱」を迎え、各地の勢力が卑弥呼を共立して新たに纏向を「王都」として建設。それは纏向型前方後円墳段階で、男系継承原理が確立した段階を箸墓型の定型化したものにおく。土器の年代観・纏向型の定義について判断できないが、纏向の画期性を重視したことで、その最初期の古墳を卑弥呼墓とするのはその部分では一貫した論理。ただ後半部分の文献をもとにした解釈は意味不明(卑弥呼の鬼道を五斗米道とするなど、魏志倭人伝の読み込みすぎとしか思えない)で、たいした勢力としみなしていない卑弥呼の段階でなぜ中央ー地方関係が成立し、その後も一貫して王族たり得るのかは説明されておらず、纏向にかわる「王都」が見当たらないという問題も解決されていない。数年前から鉄器分配をめぐる抗争などとは説明しないようにしているが、いろいろ悩ましいところ。

卑弥呼とヤマト王権 -寺沢薫 著|全集・その他|中央公論新社