wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

高雄

京都へ非常勤で通い出してから写真帳めくりを続けていたのだが、アポなしで閲覧可能な公的機関についてはあらかた見たため、一昨年はわりと観光に充てていた。昨年度からは収入減のためそれも自粛していたのだが、本年度はもはや開き直りの境地で、観光サイトを覗くようになった。そうすると昨日・本日・明日の三日間だけ神護寺多宝塔の特別公開があることを知り、非常勤先の近くからバスで直行できたため、講義のためのスナップ写真撮影のため出かけてみたもの。段取りが悪く交差点で少し迷ったが間一髪でJRバスに乗り込むことができ、まず高山寺へ。蒸し暑い下界とは事なり非常に涼しく観光客もまばらで、高山寺叢書の存在から想像していた多数の典籍を伝来している大伽藍のイメージとは異なり、廃絶した院家跡らしき平坦地が続く山寺。そのなかでまずHPで確認していた宝篋印塔を求めて明恵御廟へ。どういう経緯かは調べていないが、小さな堂の横に一部不完全なものも含めて三基確認することができた(写真左)。形式は少し異なっているため同時代ではなく、左奥側は一見してかなり古いものだと思ったが、あとで確認してみると成立期のものということ。室町期という金堂を経て降りていくと日本最古という石碑のある茶園があり講義用に撮影。その下に国宝石水院という建物があり余り説明がないため迷ったが、あの宝篋印塔をタダで見せてもらったのも気が引けたので600円を支払い中へ。これまた全く不勉強だったのだが明恵が後鳥羽から賜った学問所という由緒を持つ建物で、180㎝ほどと思われる低さはまさに鎌倉期を感じさせる。なかでも感動的だったのは内陣の天井を実見できたことで、後の板とは全く異なり非常に粗い造りをしている。鳥獣人物戯画も一巻だけだが現物があり、非常に儲けものだった。続いて山道を下り神護寺へのぼる特別拝観料と合わせて1000円。こちらは高山寺と異なり近世・近代に再建された伽藍が並ぶが、その配置の意味はよくわからなかった。多宝塔で開帳されたのは平安前期という五大虚空菩薩像。これまでは鎌倉仏のほうが好みだったのだが、この二ヶ月あちこちで平安仏を観てくるとこちらのほうが造りそのものは丁寧な気がしてきた。恐らく一木でできる木の質に規定されているのではないか。バスの時間まで余裕があったためパンフレットにある文覚上人墓なるものが気になり、寺僧に尋ねてみたが要を得た返事はなし(どうも行ったこともないらしい)。案内板もない山道を半ば後悔しながら上っていくと10分ほどで京都市街を一望できる見晴らしのよい場所に到達。そこに後深草皇子性仁法親王と文覚(写真右)の墓とされる五輪塔が並ぶが、小ぶりで様式も辛うじて中世と言うところか。どうしてこういう由緒になっているのだろうかは疑問。通勤目くらましのための背広・革靴で、最後は大量に汗を拭きだし歩き疲れたが、いろいろ観ることができて勉強になった。イメージ 2イメージ 1