wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

等持院・真如寺

本日はとある打ち合わせのため9:00淀屋橋発の京阪で京都へ。通勤客半分・外国人観光客半分ぐらいでかなり電車は混雑していた。本来なら終えているはずの採点が残っているのだが、せっかくの機会なので調べておいた冬の特別公開に向かうことに。河原町正面で確認すると南側行きのバスはどういうわけか九条車庫より先の順路を書いておらず、引っかかったので北大路バスターミナル(こちらは金閣寺道まで記載)周りで衣笠校で下車、等持院に向かう。こちらは特別公開には入っていないが、HPhttp://kyoto-design.jp/event/21798に「寺宝足利義満像・木彫吉祥天像特別公開」とあったので出かけてみた。尊氏以来の足利将軍の木像が安置されていることで著名だが、足利義満像は普段公開されていなかったのかは記憶がない。吉祥天像のほうはどれかわからなかったので尋ねてみると、檀家さんが奉納されて普段はみられない場所にあるという新しいもので、少し拍子抜け。ただ写真を撮っていなかったので、境内の尊氏墓塔だという宝篋印塔(写真左)などいろいろ見ることができた。続いて隣にある特別公開の真如寺へhttp://kyoto-design.jp/event/20594。寺院を整備したという高師直の位牌に何となくひかれたもの。割と立派な位牌で誰が奉納したのか気になったところ。寛正に焼失して後水尾によって再興されたという法堂には、師直の後に山名時義が保護したという趣旨の木札が掲げられており、それを信じるなら時義ということになるが、印象だけからするとこういうところからかけ離れた武闘派が並ぶのが興味深い。その他に勧請開山の無学祖元・勧請開基の無外如大・事実上の開山である夢窓疎石の像もあり、本尊の釈迦如来も含めて何れも中世の作にみえたが、木札も含めて断絶期にどこで管理されていたのだろうか。なお方丈の庭には由緒は不明なものの牛塔があり(写真右)、これも中世だという。近世には宝鏡寺門跡の墓所にもなっていたようで、その関係の墓塔は見つけることができなかったが、いい目の保養にはなった。イメージ 1イメージ 2