wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

高木徳郎『熊野古道を歩く』

本日四回目の授業で、ようやく一回目から要求していたスクリーン前の蛍光灯が外されていた。外は暑かったが、空調らしき音もしており快適に講義を進めることができた。電車読書のほうは思いかけず拙著を引用して頂いているもので、先に紹介した河内氏のものと同じく歴史の旅シリーズhttp://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b165205.html。まず熊野信仰の成立と熊野詣の概要について説明され、メインルートで王子が建立された渡辺から熊野三山までの道のりについて、古道が残っているところ、中世に遡る寺社・石造物が確認できるところについて、1日行程で11ルートが示され、最後にそれ以外の小辺路大辺路伊勢路からそれぞれ1ルートが紹介されている。範囲が広大なため河内氏著書のようにこれ一冊だけを持っていれば現地を歩くことができるというわけにはいかないが、いろいろ注意点は指摘されており観光ガイドブックとしても有益。タイミングを失い実は熊野三山そのものにすら出かけたことのない当方にとっても、石造物・藤原秀衡伝承などいろいろ興味をそそられ勉強になった。なお気になった点が2つ。先日疑問を記した神像について本書でも写真の説明で「9世紀後半に遡る制作が想定されている」と記載(著者のご専門ではないが、博物館学芸員として展示にも関与されており、この見解が共有されているらしい)。これについて本日非常勤先でみた新聞広告にも掲載されていたため、仏像がご専門の美術史研究者に尋ねたところ、古すぎるのではとの反応だった。また熊野詣の出発点となる渡辺津については、旧説である天満橋・八軒屋説がとられている。これについては松尾信裕氏が大川の攻撃斜面でありえないとされ、昨年実施された天満橋直下の発掘調査でも中世の遺物は全く確認されておらず、東横堀周辺が近年の通説。せっかく坐摩社御旅所が窪津王子として紹介されているのだから、それをもとにすべきだっただろう。大阪市域の熊野街道については大澤研一氏の見解もある。なおこれは言わずもがなだが、和泉の王子と神社の関係が指摘されているところでは、日根神社も加えてほしかったところ。