wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

今野真二『かなづかいの歴史』

本日の講義は「外交の途絶と神国意識」。直前の段取りが悪く、画像ファイルとWordファイルの転換のタイミングを間違えてしまい、混乱させてしまった。大人数教室でホワイトボードしかも前まで暗くしないと画像が見えないという条件は大変やりにくい。多くの大学でそうなのだが、講義など経験したことのない人たちが教室設計に従事してすまされる、ゼネコンのぼろ儲け仕事なのだろう。その片隅にしがみついている我が身はさておき、本日も触れた仮名文字の成立の絡みもあって二月に衝動買いしたものを読了http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/02/102254.html。隣接分野にもかかわらず研究史そのものに全く疎かったのだが、大野晋築島裕といった国語学者によって、音韻と仮名との間に一対一の対応関係があった成立期の古典仮名遣いから、定家仮名遣いが成立し、その誤りを正した契沖仮名遣いによって空前の大転換が図られたというのが通説だったという。それに対して著者はそれは国語学の歴史であって、文書史料も含めた実際の用例については、鎌倉から明治まで古典仮名遣いで書かれているものと全く表音的に書かれているものの間を動いているに過ぎないと論じたもの。定家仮名遣いの詳細を知らないまま、民衆による活字仮名文字史料を読むのが結構好きな当方にとっては当たり前の結論なのだが、通史として示されておりいろいろ勉強になった。とりわけ興味深いのが室町期に「かなづかい書」が成立することで、やはりこの時期がさまざまな集大成として重要な意味を持っていることが再確認できた。なお衝撃的だったのは野口英世の母からの手紙で、限界リテラシーレベルで「はやくきてくたされ」を繰り返す内容は余りにも生々しかった。なお購入したときは気づかなかったのだがもう一冊同一著者の積ん読があり、昨年から校正ができるのかという速度で新書・選書を書き続けているようだが、本書についてはそれほど荒さは感じられなかった。