wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

中川委紀子『根来寺を解く』

本日は京都で講義。受講者に史料を読ませたところ、最低限の基礎は身についているようで、体育会系が目につくのは気になるが、何とか進められそうだ。講義が始まると電車読書も進み、日本仏教美術史専攻で根来寺文化財研究所主任研究員である著者による通史https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15623。何となく鎌倉期に高野山と喧嘩別れしたイメージをもっていた大伝法院・根来寺について、両者はもともと同年に開山しており、山上から山下への移転が段階的に弘安年間から天文年間に至る250年の歳月をかけて行われたこと、根来寺密教教学ネットワークの中心に位置し各地に聖教史料が展開していること、戦国期の参拝者の落書きなど、いろいろな知見を得ることができた。なかでも興味深いのが正長2年に立案され、文明年間に着工、天文16年完成という大塔建立事業。3年前の2月に中を見せてもらったことがあるが(下の写真はその時のもの)、改めて考えると当該期にどのような経済基盤のもと事業が進められたのか、材木はどこから調達されたのかなどいろいろ気になるところ。当該期で真っ先に思い浮かぶのは本願寺建立で、戦国期の宗教勢力として両者にはかなり類似点があったと思われる。院政の説明が疑問、研究者名など誤植が目立つところもあるが、近年の開発による景観破壊についても触れられており(内部からは書きにくい部分もあるだろうが)、全体的にはよくまとまったものと感じられた。
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