wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

枚方宿

本日は研究会が重なっていたのだが、それ以前に「中世の淀川交通」というお座敷のオファーを受けていたため、迷う必要がなかった。当地は以前に啓光学園に非常勤で通っていたとき以来だが、せっかくなので早めに出て近世枚方宿の南橋から北端まで歩いてみた(会場は北端の脇、すぐ横に宿北側二ヶ村の惣墓があった・墓石は明治以前のものはないようだが)。恐らく淀川の自然堤防上に立地しているため周囲との高低差は明確で、地割りは長方形街区でいくつかの近世の町屋が保存され、要所には市教委による説明板も整備されていた。また近世町屋を利用した鍵屋資料館では漳州窯・唐津にはじまる発掘調査成果・近世文書なども展示されていた。後でいただいた「文化財だより」によると網がかかっているらしく、三矢・岡など中世から見られる地域での成果が気になるところ。また街道から外れた淀川沿いには淀川資料館があり、昨年夏の洪水に関する写真をまとめて見ることができた。会場では何人もの方とご挨拶したが、文化財研究調査会の方から昨年春に楠葉で中世前期の淀川水運と関わる可能性が高い遺跡の調査をされたことをうかがい勉強になる。どういうわけかわざわざ聞きに来られていた旧知の対岸の中世考古学研究者もその重要性を認識されており、今後の調査の進展が期待されるところ。その件でうっかり話し込んでしまい、コミュニティーFMのインタビューの方には迷惑をおかけしたかもしれないが。講演のほうは最初に定番系の話をした後、数年来続けていた京都での史料めくりでたまたまぶち当たっていた新出史料が、今回の準備過程で地域の史料とどんぴしゃで重なることを発見したため(担当者の方には受けたのでよかった)、それをメインに関所についての私見を述べる。少し早口でしゃべりすぎたようで、途中で時間が余りそうになりあせったが、はげ山や暦の話しで引き延ばしパワポ操作に戸惑いながら何とか終えることができた。もしかして昔の知り合いが来られているかと思ったがそれはなく年配の方が中心だったが、質疑では高校の日本史教員と名乗った方もおられ何とか大過なく終えることができたようだ。ギャグをはさまない拙い話をお聞きくださってどうもありがとうございました。写真左が鍵屋資料館・右は明治に廃寺となった万年寺跡(現・意賀美神社前)に建つ石塔で市教委の説明板によると南北朝期から室町とのこと(もう少し新しいようも見えるのだが・・・)。イメージ 1イメージ 2