wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』

先週は少しだけ原稿が進んだが、そうなると詰めないといけないことも出現。昨日は市立図書館で小字図を確認して一つ確定でき、そのついでに憲法問題のお勉強。本日は自治体史の地図校正に出かけて、ようやく読了したのが本書http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2881896旧約聖書から現代まで「パレスチナ問題」の展開を一五回に分けてまとめたもの。講義科目「人類の歴史」のなかでも、裏テーマの一つとして節目節目で取り上げていたが、その全体像が示されており大変有益。「中東戦争」という用語が日本独自の呼称で、欧米では「アラブ・イスラエル戦争」と呼ばれていること、2010年末からのアラブ各地での独裁政権崩壊について、現地では「サウラ」=「革命」、欧米メディアでは「アラブの春」など、重大な呼称の相違が多数あることも初めて知った。それにしてもあとがきにある「私自身、かつてパレスチナ問題を語ることは人類の解放を語ることにつながるのだという確信を持ち、差別や抑圧のない社会を作るための一助になりたいという理想に燃えていたことがありました。しかし、現実のパレスチナが置かれている政治的状況はひじょうに厳しく、現在ではさらに絶望的なものになっています」というのは余りにも重く、その原因を作り出したにもかかわらずほったらかしにしたイギリス、その尻ぬぐいのはずが逆に国益に反してまでイスラエルに肩入れするアメリカは、どう考えてもひどいとしていいようがないところ。まあそれらに全てを売り渡そうとしている日本も情けない限りなのだが・・・。一点東大史料で写真帳を確認しなければならなくなった。こうなってくるとやはり科研など研究費があるのはうらやましい限り。