wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

大徳寺ほか

今朝も御堂筋線は事故で遅延。しかも乗車した際には2分遅れに過ぎなかったものが、天王寺発を間引きせずに割り込ませたあげく、車隔調整といってわざと遅延させるといういつもながらのふざけた運用のため、最終的には10分以上の遅れとなり、堺筋線の乗替に直前で間に合わず、講師室に寄ることもできず講義に入ることに。やはり引っ越ししか解決方法はないのだろうか。講義終了後はすぐに出て歩いて大徳寺へ向かう。祖父母の墓があるため何度も来ているのだが、実はちゃんと廻ったことがなかったため、塔頭の一般公開に合わせたもので、久しぶりに墓参もした(何も持ち合わせていなかったので、水を掛けただけになったが)。龍源院(350円)は文亀2年(1502)開基で、創建当時の建物が残る山内で最もふるい建造物。しかもいただいたしおりによると明治の神仏分離まで住吉社内にあった慈恩寺を合併したという由緒ももっている。方丈は6間に区切られており、和風建築が完成されていく姿をよく残したもので、庭も含めて堪能した。続いて昨年春に提出したものの刊行される見通しのない論文で取り上げた本山を横目に見て総見院(600円)に入る。こちらはいわずとしれた信長の菩提寺で、信長の木造・墓所などが残されているが、五輪塔の小ささに逆に驚かされる。秀吉の供養というが当時のものなのだろうか。他にも公開されている塔頭はあったがパスして、今宮神社参道から船岡山にのぼり京への眺望を確認する(こちらはM1以来で23年ぶり)。続いてバス・電車を乗り継ぎ大山崎町歴史資料館で開かれている企画展「淀川と水辺の風景」を観覧するhttp://www.kyotodeasobo.com/art/exhibitions/yodogawa-mizube-fukei/。スペースの関係で点数は多くないが、優品が並べられ、特に近世淀の絵図類が揃えられたのはさすがというところ。またかつて検討したことの東寺百合文書の垂水荘川中島指図の現物も初めて見ることができ、文書一紙と同じ大きさであることが確認でき有益だった。何とか朝のいやな思いは払拭できたというところ。写真の左から秀雄・信雄・信長・信忠・秀勝の墓という。
イメージ 1