wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

池上裕子『織田信長』

採点にようやくめどが立ち、自治体史の校正、1月に仕上げることができなかった論文など、やることは多数あるのだが、昨年末から積ん読になっていて何となく息抜きに読了したものhttp://www.yoshikawa-k.co.jp/author/a51627.html太田牛一信長公記』と奥野高廣『信長文書の研究』を基本史料にその生涯をたどったもので、一時期はやった天皇・公家および足利義昭に対する過大評価を全否定して、信長権力の特異性が強調される。戦争遂行のための流通・都市政策の一方で、農政・民政がなく百姓や村と正面から向き合おうとしなかった権力とし、信長によって任命され自立していないという意味で近世的大名に先行する存在といえる領域支配者がうちだした検地・軍役などは、すでに戦国大名が編み出していた方式を遅れて実施したに過ぎないと評価する。また信賞必罰主義や下位のものの取り立ては、無理難題にも際限のない軍役負担にも耐えて自分への忠節と戦功・戦果にどれだけ励んだかという、人格的な絶対服従の結びつきを重視したもので、譜代重視のために中途で採用された外様は不安定な地位におかれ離反の契機になったとし、容赦のない殺戮戦により各地の地域権力上層や国人を滅ぼし絶対服従するもののみを自己のもとに編成していく領主階級の再編成の戦争が遂行された。統一政権の初発と位置づけられる一方で、強い主従意識、直接的な命令・指揮の発令関係によってのみ成り立ち政治機構が構築されず、信長が長生きしても全国平定は困難だったのではないかと展望される。先月あった研究会での別の論者の報告も骨子は似通ったもので、どうも信長権力というのは戦国大名とはかなり異質の戦争マシーンとして評価されるようになっているらしい。ある意味で先祖返りでもあり、何故にこのような権力が出現したのかという根本的な問に帰らざるを得ないようだ。