wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

成沢光『政治のことば』

本日は市民講演会二回目。分量が多くなりすぎて(講義三回分を圧縮)、途中を端折りながらなんとか90分を終える。もう少し地元のことを勉強して臨まなければならなかったのだが、二度とも最寄り駅と会場を車で送ってもらうだけで、戦場になった山岳寺院跡も確認することができなかった。それでも本日送迎していただいた司書の方はちゃんとプロ意識を持っておいでで、熱心な受講者とあわせて気持ちよく終えることができた。ありがとうございました。電車読書のほうは学部生時代に刊行されたにもかかわらず不勉強により未読だったものを、文庫化を契機に購入したものhttp://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2921251。古代・近代の漢語としての政治用語と和語との関係から、著者の言葉を借りると「政治意識史」を追求したもので、丸山真男「歴史意識の古層」論のような循環論的本質論ではなく、史料実証的に組み立てた方法的に説得力のあるもの。またそれと少し毛色の異なる親鸞道元日蓮〈辺土小国〉意識論もスケールの大きな議論で(どういうわけか顕密体制論は引かれていないが)・「近世都市意識の言語」は都市の本質を改めて考えさえられた。あとがきによると著者は1939年生まれながら、法政大学で石母田正藤田省三と同僚としたことで、〈日本・近代・政治史〉からこの分野に踏み込んだという。戦後思想史の巨頭といえる両者との「座談」が若き著者のセンスを開化させたのだろう。惜しむらくはその後は公共政策論へと関心をうつしたため(現代は三転して生命医療らしい)、この分野から遠ざかってしまったところ。政治学の分野で古代・中世思想史に取り組む研究者はまだいるのだろうか。かつては各分野にいた前近代日本史の専門家が失われたことが、文学部歴史学の線をも細くさせてしまった感があり、その意味でも残念。