wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

高槻城下町

1617会例会に参加し、午前中は芥川宿から高槻城下町をめぐり、午後は四本の報告を聞き、飲み会まで参加してきた(某ドラマは視聴せず)。しろあと歴史館には二度ほど展示見学に行ったことがあるが、高槻そのものについては全く不勉強だったのだが、西国街道芥川宿との位置関係、室町期にあらわれる入江氏の活動、高槻城下町の構造、発掘調査による近世城郭以前の堀の検出(高山右近期かそれ以前の和田惟政期もしくは以後の豊臣期かという結論は出ていないようだが)、近世城郭による改変などいろいろ勉強することができた。とりわけ地元在住の中世土器研究の第一人者の報告はさすがで、やはり研究には問題意識が必要だということが改めて実感できた。また京都の都市研究の先駆者である秋山国三氏が、全国の郷土玩具のコレクターだったという意外な情報を知ることができたのも有益だった(現在は娘さんを通じて市に寄贈されたということで、たまたま歴史館で展示されているのをみることができた)。写真は藩祖をまつる永井神社・地域では野見神社と呼称。かつては入江大神と呼称され入江氏が戦国期に祭礼日を定めたという伝承をもつとともに、「元神の堂ありし場所に木造の大なる会堂を建築」という記録から高山右近によって教会にされたと解釈され(すぐ近くからキリシタン墓地が発掘)、近世には三の丸の一角に包摂されたという。
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