最後までスタンスが決まらず、しどろもどろになりながらであったが何とか報告を終える。研究報告とは異なり、自らの師匠にあたる方の研究を振り返る作業はやはり大変難しい。ようやく一段落というところだが、原稿化することになりまだまだ向き合わなければならなくなった。今回の司会者が生まれたのはこちらの大学入学年、院生はもうそういう世代になっていて、自らの年齢をあらためて思い知らされる。写真は報告前に時間があり立ち寄った
野田城、すっかり忘れていたが以前にも訪れており二度目となる。野田は
真宗門徒の拠点で天文
一揆では21人が討ち死にしたことを痛む
本願寺証如の書状が残されている。