本日はふと見かけた吉野に関する講演会に出かける。報告にも興味があったのだが(実際、播磨の寺院名が登場して驚き・・・)、会場の最寄り駅から以前から気になっていた下市に行けるというのも大きな動機。山科本願寺から吉野材木が突然出てきて、それとセットで登場する町で、真宗がルートをつくったと妄想しているため。朝7時前に出かけて9時に到着し昼まで歩き回ったが、想定以上の巨大都市。地名大系によると天明八年村明細帳で家数1088で、歩いても数キロにわたって田畑がほぼ見当たらず家が建ち並ぶ。早い時期の真言に対して、戦国期に真宗寺院が建立され、町の東西に並び、バス停には「寺内」がみられる。永島福太郎の先行研究があるが、当方も取り組んでみたいところ。なおちょうど昼前に寿司屋を見かけ、日替わり定食で鰻握りにありつく。先日の願望が通じたか。