wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

和歌山県立博物館『中世の村をあるくー紀美野町の歴史と文化ー』

昨日で授業の準備は全く終わらなかったのだが、今日は思い切って3dayチケットを利用した博物館巡り。まずは地下鉄・泉北高速・南海バスを乗り継いで自治体史の関係もありいずみの国歴史館へ。松尾寺文書が久しぶりに見られると思ったのだがまさかの休館。休日よりバスの本数が多いのを確認していたのだが、祝日翌日は休館というのを全く見落としていた注意力散漫。不幸中の幸いバスの乗り継ぎだけはスムーズで、和泉中央駅に出ていた古本を見る間もなく南海泉佐野駅まで出て和歌山に向かう。こちらも人気がなくまさかと思ったが、幸い開館しており客もまばらでじっくり展示を見ることができた。何しろ文書と大般若経が半数以上を占めるというまさに玄人向けの展示で、神護寺文書・高野山文書・石清水文書など権門寺社の文書から、現地に残るほとんどカタカナ書きの売券(不勉強だが「子」だけ浮いて見えた)まで満喫することができた。とりわけ気になったのは石清水文書の延久の太政官符で、官印も押されており正文でよいのだろうが、荘園ごとに行間と字体が異なりどうも一筆で記されたものではなさそうな気がする。余りにも有名な文書だが、現物を見るとやはりいろいろと疑問が湧いてくるところ。また系図と始祖説話と不完全な文書写しがセットになった謎の史料もあり、これは誰か研究しているのだろうか。大般若経のほうも奥書から別の場所で書写されて移動したことがわかり、とりわけ兵庫福海寺蔵のものがどうして流出したのかは気になるところ(応仁の乱で略奪・転売されているのでは・・・)。歴史館の展示見学のために電車内で読んでいた『和泉市の歴史3池田谷の歴史と開発』http://www.city.izumi.osaka.jp/entry.aspx?id=3820にも、弘安九年に「大唐国江西路瑞州軍人何三於」が補整したというとんでもないこと(自分が知らないだけなのかもしれないが)が書かれた大般若経の存在が記されており、いろいろな可能性のある史料であることが実感できた。時間を考えずに見入ってしまい、和歌山市駅で25分待ちとなったが充実した時間となったhttp://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/chusei-mura/frameset.htm。さあこれから明日の授業準備の仕上げ。