wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

吉次公介『日米同盟はいかに作られたか』

昨日は研究会と飲み会で帰宅は深夜になり、ようやく昨日の講義での提出物の処理・水曜日までの授業準備の残り・来週の研究会のレジュメ作りを終えたところ。これから締め切り原稿に取りかからないとならないのだが、なかなかやる気にならず昨日読了した電車読書の整理を先にしておく。今年は戦後史をやろうと思っていたこともあって購入してみたものhttp://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=258512X日米安全保障条約が当初の日本側のもくろみである日本による基地提供とアメリカによる日本防衛のバーターではなく、日本の「お願い」して米軍が駐留するという形式で成立しため、常に「負担分担」が求められる構造となり、米軍による防衛義務で「対等」がうたわれた60年の安保改定後にも米による要求が止まることがなかった。そのなかで強行採決の連続が大規模デモを呼び起こし退陣した岸内閣に代わり成立した池田内閣について、従来の高度経済成長政策一辺倒の評価ではなく、新安保体制を定着させ、「大国」を志向した独自の外交構想の下でアジアへの開発援助を通じて、米の要求による「負担分担」拡大という構図をつくり出した原型として評価したものである。全体構図は納得でき、「象徴」である昭和天皇の米関係者への接触という暗躍が旧安保条約成立期だけでなく、その後も続いていたことが明らかにされた点も大きい。恐らくわずかに表面化した以上に決定的な役割を果たしていたのではないか。その一方で「ビルマ重視路線」(一太郎のお節介はいい加減にしてほしい、ビルマビルマ、誰かまともなワープロをつくってくれないだろうか)など池田政権独自というアジア外交政策を、わずか5年だけで捉えるのは視野が狭すぎで、戦前以来の隠された人脈やその後の展開に踏み込んで見通してほしかったところ。