wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

『大坂御陣覚書』

本日は珍しく地下鉄は遅れることなく動いており、よく晴れていたにも関わらず京都への電車も意外と空いていた。北山では明治期の写真が展示されていたがhttp://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/resources/231015.pdf、劣化していたため確認できないものもあり断言できないが、はげ山ではなくにはそれなりに木が生えている印象を受けた(社寺林のためなのかは不明)。史料読みも囚守のものは苦戦したが、土一揆による被害を賠償させようとする八幡神人の文書は成果。月曜からはじめて読了した電車読書は史料ということで、カテゴリーは研究にした。先日の学会で販売者から信用できると聞き購入した大坂の陣に関する記録。藤田実氏の解説によると(亡くなられたのは全く知らなかった。ご冥福をお祈りいたします。草稿を野高宏之氏が編集したとのこと)、作者はあの怪しげな越後流軍学者宇佐美定祐だが、一部に眉唾もあるが史料や聞き取りをもとにした実証的な作品でそれなりに信用できるとのことのようだ。ただし当方の関心は合戦の実態より地理情報にあり、成立した1677年の状況に更新されていないか不安だったが全体としては合戦時の状況で記されているように思えた。それが認められるなら冬の陣段階で道頓堀が存在していたことになり、阿波座とともに土佐座があったことも知られ材木座だったと想定される。また堺筋は黒門筋と呼ばれていたようで、土曜日の報告に向けて天王寺周辺の情報も得られた。また大阪城攻めの大軍は南からしか近づけず、北側の街道の不安定性も知られるところである。いろいろ勉強になったが、最後まで戦場で戦うより自害を選択する平家物語以来みえる武士の意識はどこからきたのか、考えさせられるものがあるhttp://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/info/books/52_shishishiryo/siryousin/siryousin.htm