wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

第50回1617会・四天王寺例会「摂津四天王寺をめぐる都市空間の形成と展開」

すでに流通していますが、報告者として研究会の案内を以下に記しておきます。私の報告は準備会でもわかりにくい・不親切とのことで文献史以外がついていくことは難しいかもしれませんが、従来の研究からはかなり踏み込んで議論をしています。また他報告はわかりやすくそれぞれの最先端の像が示され、中世大阪地域について画期的な地図も示されるはずです。なお報告題名は変更の可能性があります。
 
1617(いちろくいちなな)会は考古学・文献史学・建築史学・歴史地理学など、複数の分野の研究者が集い、16世紀以前(中世)と17世紀以降(近世)の特定の地域(都市的な場)を対象に、学際的に研究を深めることを目的とした研究会です。3ヶ月に1回程度のペースで開催しています。
今回は、古代に淵源をもち、中世には在家七千軒ともいわれた 門前町 を付属させた摂津四天王寺を対象とします。
四天王寺聖徳太子建立と伝える大阪でも最も古い寺院のひとつですが、その官寺としての性格は時代が下るにつれて変化し、平安時代には極楽浄土の東門に当たるという信仰が生まれ、多くの貴顕民衆が四天王寺を訪れることになりました。こうした動きは四天王寺に多様な宗教者を集め、またその門前が都市化していくきっかけとなったのです。四天王寺を核とした都市域は主としてその西側の門前に形成されましたが、中世後期にかけてさらに上町台地の膝下地域へと広がりをみせていきます。こうして畿内を代表する宗教都市となった四天王寺豊臣秀吉大坂城下町建設の際、主要な都市空間として一時城下町に組み込まれましたが、のちに城下町から外れるというめまぐるしい変転をみせ、近世にいたりました。
四天王寺とそれをめぐる都市空間については関連史資料が豊富でないこともあり、これまで研究成果は必ずしも豊富でありませんでした。しかし、近年、発掘調査事例が蓄積されるとともに寺中構造や都市空間にかかわる文献研究なども進展をみました。本例会では考古学・文献史・都市史の成果を総括し、中世から近世初期までの四天王寺をめぐる都市空間の構造と展開について総合的に議論してゆきたいと考えています。
 
●日時 2011年(平成23年)1022(土)
◎見学会  集合9:30  大阪市 営地下鉄 四天王寺夕陽丘 5号出口地上(東梅田方面ホームの南西改札口から上がる)
・コース 四天王寺夕陽丘駅 → 星光学院(蛤出土地) 伶人町 → 大江神社 → 四天王寺境内北
(堀跡) 四天王寺東大門 → 四天王寺南大門 → 河内川跡 → 「字往大道」(予定)
  ※昼食は各自でお願いします。JR田町駅 付近には食堂が多数あります。
 
◎シンポジウム  13:0017:00
・会場 大阪教育大学天王寺キャンパス 中央館 第213講義室
 ※参加費:資料代(実費)をいただきます。
・報告 ①市川 創氏(大阪文化財研究所)
 「考古学からみた中世四天王寺とその周辺」
②大村拓生氏(大阪工業大学
  「中世天王寺の都市的展開」
③大澤研一氏(大阪歴史博物館
 「都市大坂空間形成史のなかの四天王寺
   
  ・懇親会  シンポジウム終了後、参加希望者にておこないます(当日シンポ会場で受付)
 
1617会発起人  (*アドレスの★マークは@マークです。)
   大澤研一(大阪歴史博物館)   E-mail kenououviola.ocn.ne.jp
   仁木 宏( 大阪市 立大学)     E-mail CYN00403nifty.com
松尾信裕(大阪城天守閣)   E-mail dpbre700gaia.eonet.ne.jp
   山上雅弘(兵庫県立考古博物館)E-mail m-yamagamihcc1.bai.ne.jp

1617会の案内を希望の方は、その旨をE-mailアドレスとともに、発起人までお知らせください。また、アドレスを変更された際には、発起人までご連絡ください。
*今後の予定   2012122() 摂津:高槻城下町
4月(予定) 但馬・此隅山城と城下町、山名氏