wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

下田淳『居酒屋の世界史』

遅れていた先行列車にぎりぎり乗り込むことができたため事なきを得たが(改札前の女性専用車両に飛び乗って移動した)、今朝も地下鉄は遅れあげくに車掌は「朝のラッシュで先行列車がつかえています」とほざき、天王寺駅でも始発を先に出発させるいやがらせ。民営化しても改善されるとは思えないが、現在の体制の欠陥も明らか。京都でも昼間までもつと信じて一日乗車券を購入せずにおいたら、講義中にあっさり降り出して北山まで雨の中を歩くことになる運の悪さ。昨日の報告でぼろくそに言われたのを引きずっているようだ。もっともその前にババを引いたのが本書ということになるhttp://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=288120。書店でかなり迷っが、著者紹介をみてまともな本を出しているように思ったので担当講義の事情もあり購入してしまった・・・。そもそも新書という分量で世界各地の居酒屋の歴史を書くというのは極端に簡略化された叙述にしかなり得ず、日本史でも「初期の京都の人口の大部分は貴族階級とその従者であったと思われる。貴族の飲酒、宴会は自宅で行われるのが基本であった。そこに白拍子と呼ばれた遊女や芸人も呼ばれた」という叙述だけでも300年以上は飛び越えている、参考文献も和歌森太郎網野善彦と倉本長治『道鏡と居酒屋』なる本で、実名が記されている宇都宮大学の日本史研究者は何を教示したのだろうか。そうなると著者の専門とするヨーロッパ以外の叙述についても、信用しない方が無難だろう。それ以上に問題なのが自身のドイツ研究を根拠に、貨幣経済の普及=居酒屋の発展という図式を描き、ヨーロッパは国家の規制が弱いため貨幣経済が農村に普及して居酒屋が発達し、近代文明への飛躍をもたらしたという図式をそれ以外の地域に強引に当てはめているところである。そもそも酒への指向性はそれぞれの社会では異なるし、自家醸造の有無(朝鮮では触れられるが、日本史に関してどぶろくは全く無視されている)でも居酒屋の普及度には大きな影響を与えるだろう。そのような前提を無視して議論を立てても全く意味はなく、生半可な知識によるトンデモ本としていいようがないもの。唯一役立ったのは著者が中世の茶屋を居酒屋と決めつけている点で、近世はそうなのだが改めて考えてみなければならない。