wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

阿南市板碑

今週末は徳島県阿南市で開催された、中世都市研究会・徳島大会「紀伊水道内海世界の港津と権力」に参加。仕事の関係で金曜日の前夜祭は失礼したが、土曜日午前の富岡城下町巡検・午後の研究会・夜の当夜祭・二次会、日曜日の研究会・討論に参加し、勉強させていただく。成果物を下さった方々、ご挨拶させていただいた方々、当方のいつもながらの妄想話にお付き合い下さった方々に、改めて御礼申し上げます。写真左は富岡城下町に立地する浄土寺内に立つ、嘉暦三年銘の緑色片岩の板碑。中世には牛牧庄で戦国には牛岐と呼称された。ただ那賀川下流では入船納帳にみえる平嶋が著名だが、その辺の関係はもう一つはっきりしないようだ。右は帰路に連れて行っていただいた阿波公方・民俗資料館内に立つ板碑。こちらは紀年銘はなく中世後期のものらしい。別名平嶋公方とも呼称され、かつての屋形跡とのことだが、立地は周囲と比べても低地といったほうがよく、やはり平嶋の実態はなかなか見えない。校正原稿で論じているため忸怩たる思いイメージ 1…。イメージ 2