wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

サラエボ、希望の街角

今朝は珍しく淡路から座ることができて、ひたすら眠りにつく。降りる手前からどういうわけか隣に座っていた女子学生が気になり、何度も見てしまう。教室に入ってようやく受講者として見覚えがあったためであったことに気づいたが、向こうは変なおっさんだと思っていたのだろう。行動に気をつけなければならないのだが、体の疲れがなかなか取れない(寝酒を辞めるべきなのだが)。講義は何とか終えたが、本日も北山は休みで、映画の日だったということもあり、四条烏丸京都シネマに向かう。看板がなかったため駅上にも関わらず少し迷ったが百貨店跡ぽいビルの中にあった(階段がそれっぽかったが、先ほど調べると京都丸紅本社ビルだったらしい)。昔はよく映画を見に行っていたが、10年ほど前に極度に財政難に陥ったのを契機に情報誌を購入するのを辞め、見る回数も極端に減った。ちょうどその頃に単館系シアターの閉鎖が相次ぎ、好きだった中国(文革など過過去への関心の低下)・韓国(テレビ志向)・イラン(政治体制の硬直化)などの作品に魅力がなくなったのも要因で、唯一封切り館でみていたジブリハウルが最後。そういうわけで昨年の「こつなぎ」以来の映画館で、13:15開演ということもあり客はほとんど女性客で20数人程度。旧ユーゴものはよく通っていたころに何本か見たことがあるが、それが生々しい内戦の場面がメインだったのに対して、ムスリマの主人公は両親をセルビア人に惨殺され家を奪われた経験を持つ孤児だが、客室乗務員として働く今時のキャリア・ウーマンで、最初の数十分は戦場で活躍していた同棲相手のSEXシーンが何度も描かれどう転がるか読めないものだった。それがアル中で停職処分になった同棲相手が昔の友人に偶然出会い、厳格なイスラム教に傾倒していくところから、次第に二人の過去が明かされながら展開してラスト・シーンは・・・。過酷な経験をしながら今を強く生きる女性と、酒におぼれ宗教に救いを求める弱い男性(モスクの雰囲気は疲れた心と体には大変心地よく思える)の対比は、女性監督ならではの視点だが、個人的には「希望の街角」とはとても思えない(これが原題なのかどうかは不明)。主人公家族(祖父母は生存)のラマダン明けの祭は盛大に行い口癖としてアラーの加護は唱えられながら、酒を飲んで歌を歌い騒いでいる姿を同棲相手が「共産主義時代の悪習」と批判しているのは興味深かった。ただし俳優はクロアチア生まれにも関わらず(だからこそというべきか)、クロアチア人が描かれていないように見えたのは気になったところ(主人公の友人の恋人はキリスト教徒とされていたが・・・)。