wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

歴史館いずみさの『泉佐野サムライ列伝』

今日も余り体調はよくなかったが、案内をもらっていたこともあり上記展覧会に足を運ぶことにした。まず大学図書館(現在は修了生という関係のみだが)へ本を返しに行くと休館日。うっすら記憶はあったが、授業中に休館する図書館というのは全国でもここぐらいではないか。返却ポストに入れて駅へ向かうと、駐輪場がいつの間にか有料になっている。暇な係員に持って行かれるのもいやだったので、大学に自転車を止めに戻り引き返すとちょうど電車が出発するのが見える。まあ次を待てばと思い時刻表を見ると、1時間4本しかない。先ほど自宅で5年前の時刻表を確認すると1時間6本運行されており、長らく乗らないうちにそれが2本減らされて、新たに鳳から各駅になる区間快速が運行されるようになったようだ。そのようなローカル線を最寄り駅にする大学の運命はいかに・・・。そういうわけで15分待たされてようやくきた各停で出発して堺市駅で快速に乗り熊取駅から館に向かうが、こちらの道もしばらく来ないうちにずいぶん風景が変わったような気がする。館では8月に父親になるという学芸員氏に数十点の史料を2時間近くかけてじっくり案内をしていただく。なかでも興味深かったのが和田文書で、鎌倉の文書6点が開かれていた部分は恐らく全て同筆の案文で、和泉国御家人の大番催促を命じた頼朝政所下文案には平義連が三浦であるとの貼紙が、著名な御家人交名の付属文書には左近将監が長時という貼紙がされている。何れも正確で原文書にあったものが写されたと考えられるが、問題はいつどこで写されたのかということで、国レベルの文書管理のあり方をさぐる貴重な史料群といえる。また南北朝期の岸和田を名乗る人々の軍忠状はウラに別の系図が記され、文書本文も同筆らしくしかも守護の証判が全く見られない。証判が切り取られた形跡もなく案文でも写されるはずなので、提出されなかった軍忠状か控えとみるべきだろう。一点一点が別個に活字にされていると気づかないが、現物を見るとやはりいろいろ考えられて興味深い。館をとりまく状況は厳しいようで企画者がある種の覚悟を持っておこなった展示会とのことだが、その努力の程がうかがえるものだった。会期は6月5日までhttp://www.city.izumisano.lg.jp/kakuka/shakaikyoiku/tosho/menu/rekishikan/rekishikan_event/tenji.html