wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

川島真『近代国家への模索』

電車読書で読み始め、本日届いた一太郎のインストール中に読了。岩波新書中国近現代史シリーズの一冊で、すでに紹介した石川禎浩『革命とナショナリズム』より後に刊行されたが、取り扱っている時代は1894~1925年と一時代前になるhttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1012/sin_k562.html。日本史の視点から見るとこの時期の中国は盲点となっており、日清戦争後は第一次大戦中の介入はあるものの、余り大きくは取り上げられておらず、こちらも単なる混乱期という印象しか持っていなかった。前に義和団に関する書物を読んで前近代的観念による民衆の抵抗というイメージが印象づけられており、それを助長したように思える。それに対して本書は「この時期は『救国』のためにさまざまな考え方が溢れ出し、『中国』の人びとの想像力が最大限に膨らんだ時期だと見ることもできる。現代では見られない『中国』のさまざまな可能性が示された時期だといえよう」とする。確かに見解を電報で送りつけて新聞紙上で議論される通電圏が存在したことや、北京大学の役割の指摘など興味深い事例が多数紹介され、袁世凱以後の北京政府がそれなりに機能していたこともある意味で驚きだった。また日本を含む列強諸国との複雑な外交関係も整理されており、対21ヶ条要求による日本の突出が逆に北京政府内の日本留学経験のある外交官の失脚につながったという指摘と、逆にこの時期からドイツとの関係を深めていったというのも、以後の日中関係を考える上で重要だと感じた。また孫文の活動がほとんど評価されていない点もイメージをくつがえすものだった。清朝の統治構造と「中国」との相違の指摘も最近よく言及されておりよくわかるところで、藩部が漢人により圧迫されていった点も確かなのだろうが、チベット・英領インド関係などもう少し藩部側の動きもあればよりよかったように思える。ともあれ来年度の授業にも役立つことになるだろう。ようやく試験の採点が終了した。まだ面倒な書類仕事は残っているのだが、勉強モードに切り替えていきたいところ。