wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

今井むつみ『ことばと思考』

本日が2011年初授業。しゃべり初めは余り調子がよくなかったが途中から軌道に乗ってきた。ただしアンケートを配る時間がなく結局は最後に持ち越しとなった。毎年のことだから仕方ないのだが、アンケートの時間は無駄にしか感じない。学生の反応を見ていればどれぐらい評価されているかわかるし(金曜日の講義は低いはず)、項目も講義で想定していない予習の有無を尋ねるなど余り意味あるとは思えない。せめて試験の時にでも回せないものか。そんなこんなで電車読書も再会する。本書の読み始めは昨年最後の授業で、その後に実家の往復と本日で読み終えたため、かなり飛び飛びになってしまった。アメリカの言語学者が提起した「ウォーフ仮説」というものがあるそうで、米先住民の言語の研究を通じて、母語における言語のカテゴリーと思考のカテゴリーが一致しており、英語など「標準西洋言語」との間では「埋めることのできない、翻訳不可能な」ほどの溝があるという。いかにも西洋中心主義者がいいそうなことだが、議論は90年代になって認知心理学者による実験という手法が取り入れられるようになったとのことで、本書もその立場から著されたものである。それによると名詞を表現する際に世界には可算性・性別・助数詞という三つのタイプの言語に区分され、色の言語にもさまざまなバリエーションがあるが、基本的部分は共通しており、先住民社会も含めてその間にウォーフのいうような「相互に理解不可能なほどの思考の隔たり」は存在しない。赤ちゃんへの臨床実験でも事象への反応は変わらないが、言語を獲得するようになると、その言語で一括されている部分は同じと認識され、区分されているものは違うと認識されるようなるという、言語による思考への影響が見られる点で、仮説に有効性はあるという。その上で切り分けの異なる外国語を思考方法まで含めて完全にマスターして使い分けすることは不可能で、母語と違う認識のあることを知ることこそ必要であるという。平易な文章で実験による検証が紹介されており興味深く、ものに対して「同じ」「違う」という認識が人間の抽象的思考の発達に不可欠だという議論も、人類の発達と階級社会・戦争・差別を考える上で、新たな視点が得られたように思えるhttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1010/sin_k555.html